人間と社会T 担当:与那覇恵子 2001年度 両学部共通基礎科目 |
授業のテーマ・ねらい 文学は〈思考の器〉といわれるように、文学には様々な思考の形、人間の精神活動の生成過程が盛り込まれている。この授業では、現代日本文学の小説の"読み"を通して作家の想像する観念の世界を追体験しつつ、自分なりの考える能力、物事の本質を見極める力を養って欲しいと考えている。 2000年度から続く連携授業のテーマである「共生」との関連で述べると、"共生"という言葉自体がある意味で曖昧なので、昨年の連携授業の内容をまとめた「報告書」を参考にしながら「共に生きる」とはどのようなことなのかを、他者の意見も参照しつつ「自分自身」で「考えてみる」ことを第一目標とする。 人は一人で生きているわけではない。多くの人や物、生き物と関わり、相互に影響しながら生きている。つまりそれは「自己」が多様な「他者」とのつながり合いの中で存在していることを示している。だが「自己」と「他者」との関係は微妙である。はっきりとした強者と弱者、保護者と被保護者、支配者と被支配者という関係に在ることはまれである。対等にみえながら一方が加害者になる場合もあれば、その逆もある。時と場合によって両者の関係は微妙にズレながら逆転さえする。さらに共に被害をうける場合もあろうし、外面的にはまったく影響し合ってないと見えることもある。すなわち自他の関係は固定的なものではなく常に変化する。「共生」について考えるとは、「自他」について考えることに他ならないともいえる。 そこで本講義では「自他」の相違をセクシュアリティの面からと、異なった文化基盤を持つ者同士が接触した場合に起こる摩擦の面から見ていく。 授業計画または内容と進め方 前期のみの授業なので「異なる性をもつ男女の共生」と「異なる文化をもつ者たちの共生」という大きく二つの面から「共生」について考えていく。 現在ヒトの性はSex、Gender、Sexualityの面から問い直しが行われている。「男」「女」という明確な二項対立が成立しなくなりつつある。そのような状況を迎えて「男」と「女」はどう向き合っていくのかを、男女の共生の一つの在り方を描いているといえる江國香織の『きらきらひかる』(新潮文庫)をテキストに考えていく。外国人のゲストを招く予定(女性表現における日本文学とアメリカ文学の相違を研究するアメリカ人研究者を招くことができた。本人はレズビアンであることを講演のなかで表明した)。 世界のグローバル化が進むなかで「文化」は様々に接触し合っている。そこで映画の一部を通して、日本および日本人が、外国人からどのように捉えられているかを見ていく。参考映像はアメリカ映画の『Sun Rise』とドイツ映画の『Japaner sind die besseren Liebhaber』(日本未公開)。また日本人と出稼ぎアジア人との接触を描いた日本映画『World Apartment Horror』も取り上げ、日本人が「日本人」と「アジア人」をどのように描写しているのかを見る。それらの映像をふまえて、日本に住みながらで日本語で小説を書いているスイス人作家デビッド・ゾペティの『いちげんさん』(集英社文庫)と、ドイツに住みながらドイツ語と日本語で小説を書いている日本人作家多和田葉子の『ペルソナ』(講談社文庫『犬婿入り』所収)における異文化接触について考えてみる。最後に連携授業の担当者である下坂先生をゲストに迎え、明治時代に日本の近代化のために日本に呼ばれた「お雇い外国人」と「日本」との関わりを見ていく。 基本は文学作品で「異文化」同士の「共生」について考えていくが、様々な角度から「異文化」接触の問題点にふれ、考える一助にしていってほしいと思う。 参考文献 E.ショウォールター『性のアナーキー』みすず書房 2000年 小熊英二『単一民族神話の起源』新曜社 1995年 『<日本人>の境界』新曜社 1998年 楠瀬佳子・洪炯圭編『ひとの数だけ文化がある』第三書簡 1999年 多和田葉子『カタコトのうわごと』青土社 1999年 藤田紘一郎『共生の意味論』講談社ブルーブックス 松浦理英子『優しい去勢のために』筑摩書房 1994年 リービ英雄『日本語の勝利』講談社 1992年 リリアン・フェダマン『レスビアンの歴史』筑摩書房 1996年 レイ・チョウ『ディアスポラの知識人』青土社 1998年 |