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健康と運動の科学W(福祉)
健康科学実習W

担当:西洋子


単位数
2
配当年次
1年以上
開講期間
半期
曜日・時限
火曜4時限



 私は、"身体"という領域から"共生"(特に人と人とが共に生きるということ)について考えています。

 みなさんは、"共振する身体"という言葉をご存じでしょうか。
 これは、例えば赤ちゃんとその赤ちゃんを抱いたお母さんが、心地よく揺れている時に感じているような、相互浸透的な共同世界を示す言葉です。
 私たち人間は、このような共同性の中に生まれ、そこから徐々に抜け出て、"これが私である"というからだの領域やこころの領域をもつようになるとされています。ですから、自分や他者の区別なく、自分を取りまく様々なものたちと一緒に揺れているような身体的な感覚は、"かつて私たちみんながそこにいた"そんな場所だと言い換えることができるかもしれません。
 さて、そのような共同世界からひとたび自己が立ち現れてくると、他者との間の様々な差が気になりはじめます。特に身体は、他の人々との間に実に多くの差異を生じさせる、特別な場所であるといえるでしょう。私は女性で、彼は男性。私は障害がなく、彼女は障害がある。子どもであること、老いていること、痩せていること、太っていること・・・現実の世界では、その差異によって様々な問題が生じてくるわけです。しかし一方では、差を感じることで、自分というものがより明確になってもくるから不思議です。
 こんな訳で、差異があるからこそ他者との共生が問題になりますし、共生しようとするからこそ差異が気になったりするわけです・・・これはなかなか逃れがたいジレンマですね。
 でも、そもそもの"私"とは、"かつて私たちがそこにいた"身体の共同性を基底に成り立っていると考えてみると、共生へのアプローチは幾分気楽なものにも思えてきます。何故ならば、自分と他者との間に生じるミゾを無理に埋めるのではなく、またそのミゾをとび越えて、どちらかに一方へと強く引き寄せようとするのでもなく、「私の」とか「あなたの」といった所有格で規定されるような生き方を超えた関係性が、少なくとも身体のレベルでは発生し得るからです。
 そして、そのあり方を信じながら他者との関係を模索していくならば、私にも何かできるかもしれないと思えてくるのです。日々の生活の中で、家族との、友だちとの・・・あらゆる他者との差異を受とめながら、そこから「私たちの」としての新しい関係性をつくりだそうとする状況の中にこそ、まさに"共生"という価値が築かれるのではないか・・・私はそんな風に考えています。


 私の授業のタイトルは、「からだや動きの違いを超えて、共に楽しむ活動をつくるために」です。ちょっと長いですね。
 先に書いたようなことを、様々なやり方で実感していくような授業です。
 例えば視覚を遮断して縄跳びを跳ぶ・・・みたいなことをやってみると、ミゾをミゾとしてどれだけ理解しているのかがわかります。例えば障害のある人や、高齢者のような、からだの異なる他者の身体活動を見学し、ポスターにまとめて報告する活動を行うと、多くの学生が、これまでは知ろうとしなかった他者の存在に目を向けるようになります。そんな風に、自分の身体で実感し、考え、行動していくこと、これがこの授業が最も重視することです。

"人はひとりひとりみんな違う、みんな違うという意味において、みんな等しい"

こう考えながら、多くの学生と共に学ぶ中で、私自身もまた、自分とは異なるすべての他者との新しい関係性を、ゆっくりと模索しているところです。


写真:『公衆衛生情報』2000年12月号、川島俊昭氏