6ー74ー51ー2 東京都港区六本木という日本一の大都会に、緑豊かな遊び場を持つ幼稚園がある。 その名は東洋英和幼稚園。 園舎の裏手にはびわの木があり、初夏になると実を結び、なかなかな豊作ぶりだという噂は僕のところにも届いていた。 もう20年以上前だろう。その幼稚園の先生から、園児たちと一緒にびわの実を採れ、という使命を仰せつかった。僕は仲間を集め、麦わら帽子を被り、園舎に出向いた。 初めて足を踏み入れる場所に、僕は緊張していた。楽しそうな遊び声の響き渡る園庭に、意を決し入った。園児たちは僕たちを見ると遊びを止め、麦わらの一味に怪訝な目を向けてきた。不審者には警戒心を持つという基本的な安全教育がなされているようだ。 園舎の中に通された。屋上に出る二階の広間ではお母様がたが作業していた。ここの幼稚園ではお母様がたの奉仕活動が盛んなようだ。やはり園児と同じく怪訝な目を向けてきた。緊張が増した。 屋上に出た。屋上は広々としていて気持ちがよかった。「東京には空が無い」と智恵子が言ったが、ここには澄み渡る青空が広がっていた。眼下では園児たちが無邪気にはしゃぎまわっていた。数名は屋上の不審者をまだ見張っていた。 園児たちがどやどやと先生に連れられて上がってきた。みな屋上に登れて興奮していた。 びわの木の近くに園児たちを呼び寄せ「びわ太郎です」と自己紹介した。僕の名前にみな笑い出した。緊張が少し解けた。頬にあたる風がさわやかだった。 園児を抱き上げ、自らびわの実をもぎ採ることをさせた。小さな手を伸ばし、みな一生懸命だった。採れたときの笑顔が可愛かった。次の園児と替わり同じ作業を繰り返した。次第に僕の腰が痛み出した。その横では無限の順番の列を作る園児たちがわくわくした目をこちらに向けていた。それを見て僕の覚悟も決まった。採れたびわがかごを埋め尽くした。園児たちの目が輝いた。その様子を見て僕も目を細めた。 びわ採りができるのは年長さんに限られていた。年下の子どもたちは物欲しそうに屋上を見上げていた。次のグループの園児たちが来る間に高枝切り鋏で木の上に実るびわを切り取った。枝に付いたままのびわを真下で網を張って待ち構えている年少さんの元へ落としてあげた。網にかかったびわを我先に取ろうとみな必死だった。その姿もまた可愛かった。年少さんの健やかな成長を祈った。 びわ採りがすべて終わり、再びお母様がたの脇を通り園庭に降りた。お母様がたは「お疲れ様です」と今度は温かな笑顔を向けてくれた。 園庭に出ると園児たちが寄ってきた。もう僕は不審者ではなかった。園児が何人もまとわりついてきて、手を引いたり、話しかけてきたりした。一度に何人も話しかけてくるので、聞き取れず適当に相槌を打った。幼稚園の先生がたは毎日これをさばくのかと思うと畏敬の念が沸き起こった。園児たちと一緒にひとしきり遊んだ。楽しかった。 もっと園児たちと一緒にいたかった。しかし僕には時間がなかった。お別れのときが来た。園児たちは行かないで、もっと遊んで、とずっと手をつないだままだった。だがやはり僕には時間がなかった。小さな手を振り払い、さよならを言った。大勢の園児たちが出口まで殺到し、いつまでもいつまでもバイバイと手を振ってくれた。「また来てね」の声に涙が出そうになった。仲間のびわ二郎もびわ三郎もたぶん泣いていた。 後日、園児たちからお礼の絵手紙が届いた。どんな名画より素晴らしかった。 やがて秋になった。今度は柿太郎として再び園庭に入った。 あれから20年以上、毎年同じことを繰り返した。 成長した園児たちの中にはびわ太郎のことを記憶していて、道をすれ違ったときにハッとした顔をする子、中学生になってから「私、びわ太郎に抱っこされた」と誤解を生む発言をする子、高校の授業レポートでびわ太郎のことを発表する子まで出てきた。 長い年月が経った。 この学院が創立140年だと聞いて驚いた。そのような伝統校で、びわ太郎をずっと使い続けてくれた幼稚園の先生がたの懐の深さに改めて感謝したい。 同時に園児たちのために共に奉仕した仲間、びわ二郎、びわ三郎、びわ子、びわ将軍、びわキング、びわコング、びわタワー、びわこ太郎にも感謝したい。 そして僕はずっと園児たちにとっての“妖精”であり続けたい。あるある英和事典(びわ太郎) 学院創立140周年を迎え、『東洋英和女学院140年史』とは別に『はみだし140年誌』を発行します。『はみだし140年誌』は年史とは異なり、公式な記録として整理された歴史書ではなく、東洋英和の雰囲気や日常をより身近に感じていただける内容を集めた特別な年誌です。 掲載内容は、「英和と私」「思い出」「好きな聖句」などをテーマに綴ったエッセイや短歌、俳句、絵画などの他、東洋英和独特の言葉を集めた「あるある英和事典」のコーナーもあります。また、現在の思いや事柄だけでなく、数十年前のものも収録されています。それらは年史には収めきれなかった、実際の生活の場で感じたこと、起こった話題や出来事を伝える貴重な資料ともいえるでしょう。今回、575件もの投稿がありました。ご寄稿くださったすべての方に、心より御礼申し上げます。 なお、タブロイド版には紙面の関係上、編集委員が選定したものを掲載しておりますが、デジタル版には寄せていただいたすべてを掲載しておりますので、ぜひデジタル版もご覧ください。神の守りと導きによって学院がさらに発展し、将来、新たな「はみだし年誌」が発行されることを願っております。2025年1月20日楓の木の更新載せておきたい 東洋英和幼稚園の記録光と風に包まれて東洋英和女学院院長髙橋貞二郎美味しかったびわと虫東洋英和幼稚園 年長 RY聖句に向き合って書きました 中学2年生 高校1年生3小学部生作文8表紙絵 郷司尚子(卒業生の保護者)びわ日記「ことば」あるわが学び舎1960年代の修学旅行「トマトに塩」びわ日記整理された歴史書ではなく“妖精”であり続けたい
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