も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。」 経験しました。私の身内の人が、病気になり余命宣告されました。最初はとても信じられなくて、現実味がなくて、毎日いつでもそのことが頭に張り付いていて、とても、、不愉快でした。ただ、これが本当だと受け入れてしまうのが怖くて、私は自分で深く考えないようにしていたのだと思います。でも、日曜礼拝に行って神の愛についてのお話を聞いたら、忘れていたことを思い出させられました。私達は、誰でもみんな神の子であり、いつまでも神の愛によって守られているということです。それを聞いたら、私の考え方も変わりました。ただ怖いからといって現実を受け入れなかったら、時間だけが過ぎていくだけです。だから、残された時間をどれだけ意味のあるものにするか、今はそれが一番大切だと思いました。そして、神様がそのような時間を与えてくださったことに感謝したいです。 とにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙 5.16-18)です。 られてばかりで毎日自分を責めてお祈りの意味を正直あまりわかっていませんローマの信徒への手紙 8章38〜39節「私は確信しています。死も命も、天使私は、夏休み中に、人生において大きな出来事を私の好きな聖書箇所は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなこ私はこの聖書箇所を礼拝で聞く前は、勉強がうまくいかなかったり部活では怒私が好きな聖書箇所は、詩編119章105節の「あなたの御言□は、わたしの私がなぜこの聖書箇所が好きなのかというと、小学生の時に友達に教えてもら私はこの言□を教えてもらった時、失敗を恐れて何事にも挑戦しないでいまし今まで消極的な性格で進んで挑戦することがなかった私ですが、この言□のお36 Y.F 102 34 K.H でした。ですがこの聖書箇所に書いてある通り自分を責め立てるのではなく私達がいつも前向きに喜んで祈ることでイエス様にも感謝を伝えることができ、私自身もお祈りをすることで体が軽くなります。ちなみに私が一番好きなこの聖書箇所の場所は「いつも喜んでいなさい。」で、私的にここの部分の意味は、日常の中で小さいことも目をよく凝らして見てみると意外と大きな喜びを発見できるかもしれないと言う意味だと思います。そこから私は日頃からいろんなことに目を凝らしてみたり耳を傾けてみたいと思います。すると私自身にも少しずつ変化がおき段々自信がつくようになりました。これからもお祈りを大切にしていきたいと思います。 道の光 わたしの歩みを照らす灯」です。 った大切な言□があり、その言□によって変わることができたからです。それは、「大丈夫、きっとできる、自分を信じて」という言□です。この言□は、今でも私に挑戦する勇気を与えてくれます。 た。しかし、この言□を教えてもらってからは、今まで私は自分の可能性を信じていなかったということに気付かされ、自分の可能性を信じていろいろなことに35 R.H 挑戦してみようと思えるようになりました。実際に、中学生になってからは、クラス委員に挑戦したり、クリスマスのタブローで伴奏に挑戦したりしました。最初は「なんでやろうと思ったのだろう」と思った時もありましたが、やってみると楽しくやってよかったと思えるようになりました。挑戦したことで、少し成長できたような気がします。
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