大学概要

7月25日 礼拝奨励39

荒れ野の30年?
申命記 8章1~4節


 今日、わたしが命じる戒めをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちは命を得、その数は増え、主が先祖に誓われた土地に入って、それを取ることができる。 あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。 主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。 この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。
---

 本日のタイトル「荒れ野の30年?」は、言うまでもなく旧西ドイツの第6代大統領リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーの第二次世界大戦後40周年の記念演説「荒れ野の40年」をもじったものです。ヴァイツゼッカーは、言葉の人であり、その格調高い演説によって国内外に大きな影響をあたえました。なかでも、1985年5月8日に連邦議会でおこなわれたドイツ敗戦後40年のこの演説のつぎの一節は有名ですから、皆さんも一度は耳にしたことがあるでしょう。「歴史を変えたり、なかったことにすることはできない。過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる。非人間的行為を心に刻もうとしないものは、また同じ危険におちいるのだ」。それだけではなく彼は、戦争をひき起したヒトラーが、偏見と憎悪をかきたてることに腐心していた事実を指摘し、ユダヤ人虐殺などをドイツ自らの過去として直視しようとしました。そして、「若い人たちにお願いしたい。ほかの人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。敵対するのではなく、互いに手をとり合って生きていくことを学んでほしい。われわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせる諸君であってほしい」と結んだのです。

 ヴァイツゼッカーのこの演説の題名が、先程読み上げました聖書の箇所から採られているのは、よく知られています。「申命記」の「申」は、申告、申請など、「はっきり告げる」意味ですから、「申命記」は、神さまの命令を「はっきり大声で告げる文書」のことです。モーセは「主が導かれたこの40年の荒れ野の旅を思い出しなさい」(8・2)という言葉を語ります。
 ここでは、「主が導かれたこの40年」ということと、「この40年の荒れ野の旅」ということとが重ねられています。まず「主に導かれたこの40年」とは、主である神に目を向けることでした。そして、「旅を思い出しなさい」というのは、歴史を忘れるなということにほかなりません。「40年の荒れ野の旅」は苦しかったが、それは「主が導かれたこの40年」だったのです。神がモーセの口を通してはっきりと告げたのは、「この40年の荒れ野の旅」は、目を自分に向け、反省し、失敗を心に刻めということです。

 さて、ここで私たちの東洋英和女学院大学のこれまでの歩みを思い起こしていただきたい。本学が開学した30年前、1989年すなわち平成元年は、いわゆるバブル景気のピークにありました。すでに日本経済の規模は、1968年にドイツを抜いて世界第二位となっておりました。振り返ってみれば、変革なしに発展できる時代は70年代で終わり、80年代は内外の情勢変化に応じて新たな発展モデルを構築していくべき時代だったはずです。この東洋英和女学院も、そうした経済や社会のモデルチェンジを見据えて、短期大学から四年制大学への転換を構想したのでした。
そのような転換は、どこまで成功したと言えるのでしょうか。現実には、日本は古いモデルから脱皮しないまま、バブル景気を迎えることになりました。大多数の日本人がそれを日本の強さだと錯覚していました。しかし、1991年にバブル景気が崩壊します。あとに残されたのは長期にわたる停滞状況であり、社会・経済・政治の閉塞状態にほかなりません。本学が開学してから今日までの30年間の歩みは、平成という元号のそれと重なります。その平成の時代を象徴する言葉は、誠に遺憾ながら「停滞」と「閉塞」というネガティブなものにならざるを得ないかも知れません。果たして本学の来し方がこれらの言葉と無関係だと言い切れるかどうか、自問しなければならないでしょう。私たちもまた、「主に導かれたこの30年の荒れ野の旅」を、革めて思い出さなければなりません。目を自分に向け、反省し、失敗を心に刻まなければならないのです。

 最後に、いま一度、ヴァイツゼッカーの言葉を吟味しつつ、本日の礼拝を終えたいと思います。
「歴史を変えたり、なかったことにすることはできない。過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」。