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9月21日 礼拝奨励28

題目:プロメテウスの罠

聖句:ヨハネによる福音書第831節・32


 本日の聖句は、「真理はあなたたちを自由にする」というものです。このような断定的な言い回しは、一般的には定言命法と呼びます。とりわけこの箇所は、イエス様がこの言葉を発した状況や文脈から切り離されて、独立した一個の格言のように用いられることが多いように思われます。キリスト教であれその他の宗教であれ、それぞれの教義における真理を理解すれば、人間は本当の意味で自由になる。あるいは、学問を究めて科学的真理に到達すれば、因習・陋習・迷信から逃れて人間は自由になれる、といったふうです。しかしながら、果たしてそうでしょうか。私自身は、こうした定言命法が出てきたときには、取り敢えずいったん立ち止まって、その具体的意味内容を吟味してみなければ気が済みません。研究者という商売柄、そのような訓練を受けてきたからと言ってしまえばそれまでですが、おそらくそれ以上に、60年以上も馬齢を重ねてきて、それなりの知恵を身に付けてきたからだと思うのです。


  例えば、いまのポーランドという国のある場所で、正門の上方に Albeit macht Frei つまり「労働は(あなたを)自由にする」、あるいは「働けば自由になれる」という文言が掲げられた施設がありました。しかし実際には、この門をくぐった人々はどれだけ働いても自由になることはありませんでした。それどころか、多くは働くことさえ許されずに、シャワーを浴びさせると言われてそのまま一つの空間に閉じ込められて、水の代わりに毒ガスを浴びせられて次から次へと殺戮されていったのです。この場所の名前をドイツ語ではアウシュビッツといいます。

  もう一つ別の例を出しましょうか。いわゆる中東和平問題というのは私の専門領域のテーマですが、かつては「正義が平和を実現する」あるいは「平和が正義をもたらす」と定言命法的に喧伝されたものです。しかし現実には、どのような紛争であれ、紛争当事者にとってみれば、正義と平和とは両立不可能です。一方の正義が貫徹されるという状態は、他方の正義が完全に踏みにじられるということを意味するからです。両者の間に平和を実現しようとすれば、双方がともに自分の正義を下ろさなければなりません。正義と平和とがあたかも両立するかのような定言命法に対しては、そこで主張される正義や平和が「誰にとっての、どのような正義であり平和であるのか」が徹底的に問われなければならないのです。


  さて、独り歩きしているこの「真理はあなたがたを自由にする」という格言です。ここで私が想起するのは、キリスト教が誕生するはるか以前、紀元前5世紀半ばに活躍したアテナイのギリシャ人、アイスキュロスという人が描いた作品「縛られたプロメテウス」の悲劇です。プロメテウスは、太古の昔、神々の世界から火を盗んで人間に与え、人類を文明の力、真理の力によって救ったとされるギリシャの神様にほかなりません。プロメテウスはそのような真理によって人間に自由を与え、天界の最高権力者ゼウスの怒りを買い、罰として人里遠く離れた岩山で鎖につながれてさらし者になるというストーリーです。

  本日のお話のタイトルである「プロメテウスの罠」は、東日本大震災で事故を起こしたフクシマ原発にまつわる、ある新聞の調査報道から借用しました。原子力エネルギーをプロメテウスが盗んで人間に与えた火に仮託したのでしょう。原発であれ、いまこの瞬間にもわれわれの近隣で繰り広げられつつある核実験やミサイル発射であれ、いったいこの真理は、われわれを自由にしたのでしょうか。われわれはここで、プロメテウスを罰したゼウスの言い分を「忖度」してみるべきなのではないでしょうか。


以上