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礼拝奨励 27

題目:パンによっても生きる
聖句:マタイによる福音書第4章4節
イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」


 本日の聖句は、聖書の中で最も人口に膾炙している言葉の一つでしょう。文語体では、「人はパンのみにて生くるにあらず。神の口より出ずる凡ての言葉に由る(と録されたり)」となっています。キリスト教の教会などでの説教では、前半部分よりもむしろ後半の解釈に重きが置かれているようです。つまり、私たちを生かしてくださるのは神様であり、その神様の言葉に従ったときに、初めて本当に生きることができるのだ、とされるのですね。しかし私にはどうもこれは片手落ちであるように思えます。後半部分だけが突出して独り歩きを始めると、いわゆる「原理主義」に陥ってしまう危険がないでもないと考えるからです。前半の「人はパンのみにて生くるにあらず」、あるいは「人の生くるはパンのみによるにあらず」という部分は、裏を返せば「パンによっても生きるのだ」、すなわち「現実と折り合いをつけることも忘れてはならない」ことを示唆しているのではないでしょうか。

 それはそれとして、パンと言えばいつも頭に浮かぶ逸話がありますので、少しご紹介したいと思います。私にも贔屓のパン屋があって、会議などの所用で神戸に出張するときにはたいていその店のパンを土産に買って帰ります。製品によっては原材料の粉などを直接ドイツから取り寄せるなど、なかなかこだわりのあるパン屋で、創業者の名前'F'を屋号としています。その創業者H.F.氏が神戸で店を開いた経緯は、まさに波乱万丈で、実際に彼とその日本人の夫人とをモデルにしたNHK連続テレビ小説が制作・放映されています。1884年にドイツのチューリンゲン州ユッツェンバッハで生まれたH少年は、パン焼き職人となって18歳でドイツ海軍に志願し、軽巡洋艦エムデン号の烹炊兵となりました。このエムデン号は、第一次世界大戦中にアジアやインド洋方面での通商破壊戦で大活躍した軍艦ですが、H.F氏は開戦前に当時ドイツの委任統治領となっていた青島で除隊・退艦し、そこでパン屋を起業します。しかし開戦によって再び招集され、陸戦隊に配置されて青島の防衛にあたりましたが、進攻してきた日本軍によって青島は陥落し、彼は捕虜となって名古屋の捕虜収容所に移送されます。第一次大戦はドイツの敗戦で終わり、釈放されたH.F.氏はそのまま日本に残り、パン焼き職人としての技術を買われて今に残る大企業S製パンの初代技師長に就任しました。そこから独立して、高級ドイツベッカライ'F'を起こしたのが1924年のことであります。

 この'F'氏と同じような来歴、すなわち第一次大戦時に青島で日本軍の捕虜となり、日本に渡って故国ドイツの味を広めたパイオニアは少なくありませんでした。日本で始めてバウムクーヘンを製造販売したK.U.や、今ではロースハムの代名詞になっている'L'を創業したA.L.もそうした人々の仲間です。ドイツの職人気質とでも言うのでしょうか、彼らに共通しているのは、「ちゃんとした材料以外は一切使用せず、いい材料と経験で作る」という姿勢でしょう。だからこそ、今日に至るまで'F'も'U'も'L'も、その品質に定評を得て、百年近くにわたって優良企業として発展を続けてきているのです。

 同時に、私は思うのです。例えばもし、H.F.少年が海軍を志願していなかったら。もし青島で退艦せずにエムデン号に乗り続けていたら。もし捕虜収容所から釈放されてそのままドイツに帰国していたら。そのような「もし」を考えるとき、私どもが今、この'F'のパンを口にすることができるというのは、実は奇跡的な出来事なのではないかと思うのです。
海軍に入ってなければ、彼はほかの多くの同世代の若者たちと同様に招集されて西部戦線などの激戦地に送られ、戦死していたかも知れません。エムデン号は優勢な連合軍の艦隊と遭遇し、大破して座礁していますから、やはり彼は戦死していたかも知れません。大戦後に生きてドイツに帰っていたら、故国で一介のパン焼き職人に戻ったかも知れませんが、そのパンの味が日本に伝わることはなかったでしょう。そうしたことどものあれこれを考え始めると、私が口にするこの一切れのパンに何か摂理のようなものを味わい知ることができるとさえ思えるのです。「たかがパン」ですが、「されどパン」ということになりましょうか。


 最後にもう一つ、面白い巡り合わせをご紹介して本日の御話しを締め括りたいと思います。現在の'F'の店主(社長)はH.F.の孫娘に当たる女性ですが、1995年の阪神大震災で大きな被害を受けた店を再建する際、ある建物を買収し、現在の場所に改修の上移築しました。この建物は、その女性が子供のときから通っていた神戸ユニオン教会の会堂であり、彼女が日本人の御夫君と結婚式を挙げた場所でもありました。神戸ユニオン教会は神戸の開港に伴って明治3年(1870年)に創建された日本でも最も古い教会の一つに数えられます。ゴシックスタイルのこの会堂が建てられたのは、昭和4年(1929年)のことでした。いま、一階でパンやクッキーが売られ、二階がカフェとなっているまことに居心地のいいこの旧会堂の設計者は、米国人建築家のW.M.ヴォーリス(William Merell Vories)であり、いうまでもなくわれわれの前身である東洋英和女学校の校舎を設計した人物にほかなりません。