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本校の生徒が第38回小泉信三賞 佳作に入賞しました。

慶應義塾大学主催 第38回(2013年度)小泉信三賞佳作に入賞した、田幡夏海さんの小論文を紹介します。

※PDFはこちら⇒tabata.pdf

 

選択課題5 信の世界に偽詐(ぎさ)多く、疑ひの世界に真理多し(『学問のすゝめ』第十五編)

疑うことを肯定する 〜福島の人々に出会って考えたこと〜

 

はじめに

 私は「信の世界に偽詐多く、疑ひの世界に真理多し」という言葉と初めて出会った。まず、どんな意味なのだろうと思い、福澤諭吉の代表作をいくつか読んだ。そこから、この言葉の意味について自分なりの考えを得た。それは、「信の世界に偽詐多く」とは「通念や定説が必ずしも正しいわけではない」ということ。そして、「疑ひの世界に真理多し」は「疑うことによってはじめて真理が発見され、文明が進歩する」ということだ。しかし、言葉の意味は摑んだものの、そうかもしれないな、と感じただけで、実はあまりピンとこなかった。そこで、私は「信の世界に偽詐多く、疑ひの世界に真理多し」とは実際にはどういうことなのだろう、と考えながら夏休みを過ごしていた。

 そして私は、この夏に参加した修養会で「信の世界に偽詐多く、疑ひの世界に真理多し」という言葉と現実に出会うこととなったのだ。

 東日本大震災と原発事故を、その身に直接受けた人たちに出会った。彼等の姿とその口から聞く言葉はニュースなどとは全く違い、他人事では済まされない、という思いをひしひしと感じさせるものだった。かといって、私自身決して震災や原発事故に関して無関心だったわけではないし、実は、忘れたことなど、なかったのである。この理由を次に書きたいと思う。

 

一、私の学校

 私の通う学校は中高一貫のミッションスクールである。宗派はプロテスタントなので、聖書の教えと礼拝とお祈りを大変大切にしている。皆さんがミッションスクールに対してどのようなイメージを抱いているか私はわからないが、聖書の理解を深める授業や礼拝があるだけで、実はそんなに変わったことはしていないと思う。私自身クリスチャンではないし、そういった生徒の方が多いはずだ。ただし、毎日欠かすことなく行うことがある。それはお祈りだ。「今日も皆が充実した日を過ごせますように」「お休みの子には力が与えられ、早く良くなりますように」といったように祈る。もちろん祈られている人はそのことには気づかないかもしれない。だが同じように自分たちも誰かから祈られ、知らないうちに支えられていると考えている。だから、お祈りによってせめて少しでも被災者の方々に力が届くように月曜日の朝には二〇一一年の春以来全校でずっと祈り続けてきた。「東日本大震災によって苦しむ人々のために、あなた(神さま)からの助けと励ましを与えてください」

 我が校はカナダの婦人宣教師によって創設された。彼女の「誰かのために、まず私から始めましょう」という建学の精神は今でもとても大切にされている。この精神から始まり、校訓は「敬神奉仕」という。「敬神」とは神さまを敬うこと。そして「奉仕」とは隣人、すなわち自分の身近な人びとを自分のように愛し仕えることを意味する。したがって常日頃からボランティア活動は盛んで、その一環として今年の夏には学校の持つ軽井沢の寮で修養会が開かれた。今回は初めて福島県南相馬市の保育園児を招待した。名前は「修養会」だが、内容は「保育園児と一緒に遊ぶ宿泊行事」である。私は福島の子にはぜひ会ってみたかったし、自分が三人きょうだいの末っ子ということもあって、ちびちゃんたちに興味があったので、この修養会に参加することにした。

 

二、修養会にて

一日目

 軽井沢の新鮮な空気をたっぷりと吸い込んで起床し、礼拝を守る。その後は部屋を整えたりしてちびちゃんたちを迎える準備をし、到着したらグループになって一緒に遊んだ。このグループとは、自分と他の同級生一人か二人で保育園児二人のお世話係になるというもので、遊びや食事など、ずっと一緒にいることになっていた。私が友人と担当した子は五歳のそらちゃんとそうたくん。二人とも元気一杯で、少し照れ屋なそらちゃんはTシャツのすそをお腹がみえるまでまくりあげ、顔を隠したりしていた。かわいい。そうたくんはおしゃべりな子で、ときどき宇宙人と交信する仕草を見せていた。かわいい。二人は本当に愛らしかった。そんな二人のお風呂を手伝ったり、一緒に食事を頂いたりして、一日の最後に「おやすみなさい」をした後は、先生方と中高生で一日の様子を話し合うシェアリングを行った。この後の講演会で、私はとても貴重なお話を伺った。引率でいらっしゃっていた保育園の先生が、震災当時と今の福島の話をしてくださった。それは、深く印象に残った。今、さっきまで一緒に遊んでいたあの園児たちは、一日一時間以上は外で遊ぶことを許されず、できないそうなのだ。

 放射線の影響を避けるために、園では必死に除染作業を行ったが思うように汚染度は下がらなかった。特に園周辺の木々の汚染濃度は高く、園児の命を守るためには外遊びを一日一時間に制限しなければならない。したがって当然木登りは許されないし、虫取りもできない。ただし水は放射線を通さないため、たとえば雪が降ったような時には外遊びの時間を延長できる。特別大サービスで、二時間。私には信じられないことだった。

 私はシュタイナー教育に基づいた、少し変わってはいるがとても素敵な幼稚園で育った。遊具は全て先生お手製の木のもので、晴れの日には野原にでかけた。玉ねぎの皮で染物をしたり、園庭の桑の実で作ったジャムを食べた。好きなだけ走り回って遊んでいた。そんな風に自然と触れ合って、外で遊ぶのが大好きだったことを想い出すと、外で一時間しか遊ぶことを許されないあの子たちが可哀そうでならない。

 保育園の先生方は「被災直後に園庭を開放することはほとんど無理なことだった。でも、部屋の中でテレビを見てお菓子を食べるしかなく心身の健康状態が顕著に悪化していく子供たちを、とても放ってはおけなかった」という。ちびちゃんたちは軽井沢寮の庭で本当によく遊んでいた。走り回って、虫を見つけては報告してくれ、もっと新しい発見を求めて探検しまわっていた。輝くように跳ねまわる全身が、外遊びが大好きだと言っていると私は思った。

 

二日目

 この日は渓流遊びに行った。一番深くても高校生のふくらはぎにも満たない浅いところで、水を跳ね上げて遊んでいる姿はとても楽しそうで、一緒に遊ぶことができてよかったと心から思った。その後お昼寝をしたり、庭で遊んだり、ご飯を食べて、おやすみなさいをし、また中高生と先生方によるシェアリングの時間にお話を伺った。

 その方は介護や福祉の現場で働く女性で、震災当時もいつも通り働いている最中だった。危険を回避するため何とか避難所に行かねばならない。しかし介護の必要な方たちは避難所に行くのも一苦労なので、避難所への到着も遅くなってしまった。その方の話によれば避難所というものは、四隅、そして壁側から埋まっていくものだという。到着の遅れた介護の必要な方々や車いすの方たちは必然的に、その状態のまま部屋の真ん中にいなくてはならなかった。四方から視線を浴びるのはとてもストレスのかかる辛い状態だろうと思う。さらに、高齢者は夜中にトイレに行くことがあるが、どうしてもドアの開閉など音が立ってしまう。避難所の方たちは最初は寛容で、「ああ、いいですよ」と言ってくださるが、一週間もすると、「黙れ!」「静かにできないのか!」と言われてしまい、一か月は避難所にいられないという。身体障害者の方などはまだ良いだろうが、精神障害の方は不安定になると自傷行為などが現れることがある。それらに対する理解は浅く、本当に避難所になどいられない、とその方はおっしゃった。さらに、親戚筋を頼ってもやはり限界があり、「勘弁してくれ」と二か月もつかどうかだという。私の母は社会福祉士であり、かつ父は病気により左半身に麻痺がある。幸運とリハビリによって軽度であるが、身体障害者だ。したがって障害者は避難先では苦労した、特に精神、知的、発達障害の方は本当につらかったという話は実は聞いたことのある話だったが、生の声というものは全然迫力が違った。

 さらに驚くべき話を伺った。その当時自宅にいた聴覚、視覚障害を持った方達の話だ。視覚障害の方は、地震によって物の配置が変わってしまい、自宅の中で歩くこともままならなかった。聴覚障害の方は、テレビの画面から「屋内待避」は分かったものの、ほとんど状況を飲み込めなかった人も多かった。結局これらの方々は家の中で縮こまっていることしかできず、一か月程たった頃、心配になって自宅に向かった施設の職員が発見して助かったというのだ。

 原子力発電所設置の際に考えられていたマニュアルでは、「体の丈夫な人は何とでもなる。まずは障害者や高齢者など、避難が困難な弱者を優先させよう」ということになっていたと聞く。実際には、その反対だ。弱者は避難所から出ていかなくてはならなかった。それまで信じられていたことは、「うそっこ」であり、きれいごとだったのだ。真の世界の、疑詐である。原発の安全性に疑問を持ち、災害が起こった場合の被害や避難所の状況をもっと現実的なものとして考えていたならばどうだろうか。被災者の辛い経験は、いくらか軽くなっていただろう。「疑ひの世界に真理多し」とできたかもしれない。

 

三日目

 最後の日が来た。可愛くてたまらないそらちゃんもそうたくんも、今日で帰ってしまうのだ。ああ、さびしいなあと友人と話しながら一緒に食事を頂いた。帰る直前まで庭で一緒に精一杯遊べたことは嬉しかったが、福島ではできないことなのだと気づき、可哀そうに思った。ちびちゃんたちとさようならをする時間がきて、あまりに名残惜しくて皆で二列に並んでバスの乗車口の前に花道を作った。一人ずつ間を通って行くちびちゃんたちと握手した。バスが発車する時には皆でシャボン玉をふいてお見送りをした。会えて良かったと心から思った。

 ちびちゃんたちがいなくなってしまうと、寮内はあっという間に静かになってしまって、友人と口々に「...寂しいね」と言い合いながら、あの子たちが使った部屋の片づけをした。

 その後、最後のミーティングの時間になった。その時に先生が一人の先輩を紹介して下さった。その方は実は原発事故の後福島から避難して、東京の我が校に転校してきたのだという。震災で東京に避難してきたものの、東京はやはり被災者に対する理解が浅かったのだろう。ある時先輩は、新しい友人の一人から、「避難しなくてはならなかったのは福島に住んでいたんだからしょうがないじゃん」と言われたという。先輩はその無神経な発言に深く傷ついたが、先輩のお母さまはそのころ東京に避難してきたことを大変後悔していらっしゃったらしい。そのため心配はかけられないと思い、とても相談などもできず、「毎日学校楽しいよ」と言うしかなかったそうだ。「ごめん、泣くつもりなんてホント、なかったんだけど」と言って背中を向ける先輩を見て、私は何かお腹にずんとくるものがあった。本当に、本当につらいとはこういうことなんだ、と自分の理解の浅さを真剣に恥じた。ともすると自分も、慰めのつもりで「しょうがないじゃん」を言ってしまいそうな気がして、恐ろしく思った。

 「この三日間で皆は、世間の普通の人が理解できていないことに気付いたと思う。これから大きくなっていくにつれて、皆はもっと多くの福島出身の人に会っていくと 思うけれど、差別されるのが怖くて被災証明書を隠している人も本当にいるし、方言を隠そうとする人さえいる」。そして先輩は、「気づいたことをどうか忘れないで、他の人ができない思いやりの心をもち続けてほしい」と締めくくった。こんなつらい話をして下さった先輩の勇気に感謝するとともに、私はこの言葉を忘れずに大人になろうと強く決意した。

 

三、「信の世界に偽詐多く」についての考察

 『学問のすゝめ』の第十五編、「信の世界に偽詐多く、疑ひの世界に真理多し」に戻りたいと思う。その意味は前述したように「通念や定説が必ずしも正しいわけではなく」「疑うことによって真実が発見され、文明が進歩する」と言っているということだろう。

 さて、前者の「信の世界に偽詐多く」は、実は私たちの日常の中にあるような、最も身近な自分と物事の関係の一つだと思う。福澤はこれの例につまらない俗説や信仰を挙げている。現代で考えてみるなら、例えば以前納豆やバナナがダイエットに効果的 であると言われた時には、それらが爆発的に売れ店頭から姿を消したことがあった。今になって考えてみれば、その効果は疑問である。原発事故もまさに同じような例であろう。

 一方、第十五編を読み進めると、「疑ひの世界に真理多し」の姿勢をとって真実を発見する目的は「文明の進歩」にあるとわかる。発見された真実が文明化の基礎となり、文明化によって、言い換えれば、学問が国民一般に普及することによって、「一身独立して」「一国独立す(1)」になる。福澤の最も恐れていたであろう西欧列強の侵略に対する確かな対抗策の一つをここに見ることができる。

 歴史を経て、今や日本は立派な一国家となった。海外からの領土侵略の懸念が無いとも言い難いが、その可能性は大いに低いと感じている。福澤が最も恐れていた侵略され、植民地化されるという危険はなくなったと言えるだろう。しかし「信の世界に偽詐多く、疑ひの世界に真理多し」という言葉が、だからといって役目を終えたかと言えば、私はそうではないと考える。

 かつて日本には、安全神話があった。多くの人々が原子力発電所は安全であると信じ、選挙を通じて国民の多くはそれを肯定した。これは事実だ。しかし、信の世界に偽詐があった。原発は絶対安全ではなかった。多くの努力も報われないまま汚染水の流出は止められていない。そして私が、走り回ってきらきら輝くのを見た子供たちは、外で遊ぶことを一日一時間に制限されることになった。そして災害の時には、「弱者」が先に逃げるはずだった。だが、実際には「健常者」が先に逃げ、取り残されたのが「弱者」だった。

 何かを妄信することは取り返しのつかない結果を生むことがある。だから今ここで、私たちは性急に「原発は即時全機廃炉」などと、今までとは反対の主張を妄信するべきではないだろう。また、人間の本質など、所詮は「弱者」の切り捨てなのだ、とも決めつけたくはない。これが本当に正しいのか、信じられるのか、一度疑うことを私たちは教訓として胸に刻まなければならないと思う。

 これはとてもつらい作業である。何故ならば、物事に何の疑問も抱かずに身の周りにあるそれらしい意見を信じることは大変 楽だからである。もし間違いや不利益が生じれば「お前のせいだ」と言うこともできてしまう。「疑う」という行為は、実は普段の生活の中でとても難しいことなのだ。かつて、ガリレオが天動説が正義だった時代に、地動説を唱えた時には、異端とされ裁判にまでかけられた。疑いを持ち、異論を唱えることは大変な困難を伴うのである。この困難を前にして自分の提唱を主張するためには、欠かすことのできないものが三つあると思う。

 一つ目は、正しいとされることに対する疑問を明らかにし、他の人にわかってもらえるよう伝えられる「学力」。

 二つ目に、「勇気」。少しでも他人と違うことを恐れていては、異論を唱えることはできないだろう。今私たちはネットを使っていつでも他の人とつながっていられるため、それができない時には不安さえ感じることがある。また、授業中や交友関係での同調圧力は強く、それができないと「あ、なに、そういうことやっちゃうんだ」という冷たく馬鹿にした空気を味わうことになる。この危険と恐怖を顧みず「疑う」ことは、女子高校生には大変困難なことなのだ。

 そして、最後は「諦めない心」だと思う。福澤も説くような「人事の進歩して真理に達するの路は、ただ異説論争の際にまぎるの一法あるのみ(2)」ということだ。「まぎる」とは、波間を乗り切ることである。つまり、大勢に逆らい続け、信念を貫くことを諦めない心が必要なのだと思う。

 

おわりに

 今回経験し、考えたことを踏まえ、私は自分の決定に自信と責任を持つことのできる大人になりたいと思う。歳を重ねていくにつれ、私にとっての「大切なもの」は増えていくだろう。最近長い時間一人で黙々と絵を描き続ける体験をして以来、自分が本当は寂しがり屋であることを発見した。そして自分が、特に大切な人を失うことを極度に恐れていることを知った。幸い今まで一人も失ったことはない。しかし、これからも自分の選択によって決定的に失ってしまうものがないように、自分に対して、大切な人に対して、ひいては世界に対して責任ある行動をとれる自分であり続けたいと強く思う。

 東日本大震災の時には、多くの人が正しいと言われていたことを疑わず、疑問を呈されてもその向こうに真実があるか追及せず、肯定し続けた結果として人びとは「被曝」することになってしまった。もし当時自分が選挙権を持っており、原発を容認していたならばどうだろうか。そして震災に会い、原発事故で故郷を失い、ちびちゃんたちの自由な遊びを奪ってしまったならば、後悔せずにはいられなかっただろう。だが正直に言えば、私も事故の前に原発の安全性を疑えなかったと思う。これまで私は何かに疑問を感じても、それについて深く追究しては来なかった。

 しかし、このような大きな問題だけではない。日々の生活は、小さな選択が積み重なってできあがっていく、日々の積み重ねは、やがて「生き方」そのものになるだろう。自分の生き方に自信を持ち、責任ある選択をするためにも、私は学問に取り組もうと思う。そして、勇気をもって、「疑う」ことを肯定しようと思う。

 

《注》

(1)(2) 福澤諭吉著 伊藤正雄校注(一九七一)『学問のすゝめ』旺文社より引用

 

《参考文献》

福澤諭吉著 伊藤正雄校注『学問のすゝめ』旺文社 一九七一

福澤諭吉著 家永三郎編『現代日本思想体系2 福澤諭吉』筑摩書房 一九六三

福澤諭吉著 小室正紀/西川俊作編『福澤諭吉著作集 第三巻 学問のすゝめ』慶應義塾大学出版会 二〇〇二

福澤諭吉著 戸沢行夫編『福澤諭吉著作集 第四巻 文明論之概略』慶應義塾大学出版会 二〇〇二

『カナダ婦人宣教師物語』編集委員会『カナダ婦人宣教師物語』東洋英和女学院 二〇一〇

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