生徒礼拝(高三)

お話の上松さん.JPG

詩編16編711

「わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし わたしの心を夜ごと諭してくださいます。わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし わたしは揺らぐことがありません。わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず 命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い 右の御手から永遠の喜びをいただきます。」


高等部の生徒が礼拝の司会やお話、奏楽を担当する「生徒礼拝」が118日にありました。

新型コロナウイルスの蔓延と共に、様々な制限を余儀なくされた学校生活を振り返りつつ、聖書の言葉から自分たちに与えられた神さまの導きとは何か、希望の言葉を語りました。

全校生徒が聖書の言葉から与えられた深い恵みを知る素晴らしい一時となりました。


【礼拝のお話】

今読んでいただいた聖書箇所では、私達の命の道にどのような主の救いがあるのか、をダビデの歌を通して、知ることができます。ここを読むと、「主が右にいる」や「励まし」「安心」「永遠の喜び」など、常に私達には、主による支えがあるのだと感じることができます。

現在、高等部3年4組の教室の横黒板には、12月の定期試験までのカウントダウンが行われています。今日で〇〇日となっていました。4組の誰がやっているのか私は知らないですし、たまに日付が変わっていない時もあるので、情報の信憑性に欠けますが、数えられるほどしか学校で授業日はないのか、と寂しく思っています。つい最近まで全く認識していなかった卒業という二文字が、II学期に入って、日に日に大きくなっています。

 先月行われた楓祭、OGとして初めて合唱部の公演を客席から見ました。演奏された曲の歌詞で

「耳をすませば、思い出が蘇る」とありました。それを聞いた時、卒業が近づいている自分の心にその歌詞がスッと入ってきて、言葉では言い表せない、とても切ない気持ちになりました。

高校の3年間、私は多くの大人に「かわいそう」と言われました。その言葉の中には、コロナによって新しい生活様式で高校時代を過ごしたことへの慰める気持ちや同情しようとする気持ちがあったのだと思います。しかし、私はそう言われるのが、あまり好きではありませんでした。確かに思い描いていたような高校生活ではありません。黙食や行事の中止、縮小、部活動の規制、当たり前の日常は当たり前ではないことを知りました。けれど、私は「かわいそう」ではない。大切な友人たちと何にも代えがたい日々を、私だけの青春を過ごしてきました。私はそれが幸せで、大切な思い出で、これからの人生の原動力となるものです。私が持つかけがえのないそれを、他人の価値観で「かわいそう」という一言だけで済まさないでほしい、そう思っていました。他人からの良心を受け取るだけなのに、だいぶ捻くれているな、と自分でも話しながら感じています。

そんな中この聖句を読んだ時、「ああ、私が求めていた言葉はこれだったんだ」とすぐに思いました。自分には励ましがあって、心には喜びが満ちていて、私は神によって用意された命の道をどんな時も歩んでいける。今歩んでいる道も私の命の道。かわいそうじゃない、悔やむことなどなにもない。私にはきらきらと輝く素敵な日々と、隣人愛に溢れた周りの人々と、なにより主が共にいる。自分の高校生活をそのように心から愛おしく思うことが出来ました。

私がこの聖句を読んだときに思い出した歌があります。それは、サンボマスターの「希望の道」です。この曲は、2011年に「スクール‼︎」というドラマの主題歌としてリリースされました。ここで、その曲の歌詞の一部を紹介します。

 

「この街には 希望の道があるの

振り返らずに 僕を羽ばたかせる道

希望の道 僕がゆく道

雨に打たれ 風に吹かれても ゆくんだよ

希望の道 君が行く道

裏切られても 裏切るなよ

君よ 旅立ちの朝だよ

 

今まで過ごした日々の中には、困難もありました。けれど、その全ての瞬間には希望がありました。そして私が歩んできた軌跡は、確かに神によって準備された希望の道です。そしてこれからも、今までもそうであったように、神を信じていれば、歩むべき道があるのだと、私は確信しています。未来へ一歩踏み出す時、大きな不安に打ち勝つ勇気が必要です。未来は常にモヤがかかっていて、どんなことが待っているのか、どんな道なのか知ることはできません。しかしどんなときにも希望とそして私のための道があると、そう思います。そしてそのなんとなく感じるポジティブな気持ちと自信と、今まで受けてきた大切な人々からの愛や、過ごした日々は、次の一歩への勇気につながります。

私はこれからも主の励ましと大きな喜びを胸に、命の道を歩んでいきたいと思います。

 

お祈りします。

天の父なる神様、御名を賛美いたします。

今朝ここに集い、礼拝を守れることに感謝いたします。

日々、あなたと共に生きていくことができますように。また、あなたが共にいることに気づかせてください。

今この時にも、世界には、悲惨な出来事が多くあります。全ての人々の心を癒し、希望をお与えください。

このお祈りを主イエスキリストの御名によって、御前にお捧げいたします。

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