生徒礼拝(11月25日)

2021/11/25

生徒礼拝

ヨハネによる福音書 15章1〜7節

1.わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

2.わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。

3.あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。

4.わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。

5.わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

6.人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。

7.あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。


 突然ですが、現在皆さんの中で、自分ではどうしようもない悩みを抱えているのに誰にも相談できない、自分の思ったように物事が進まずどうしたらいいかわからない、と一人で苦しんでいる人はいませんか。私は極度に心配性な性格な為、このような悩みを数多く経験してきました。

 現在高校三年生となった私が、中高6年間の中で最も悩んだのは友人関係です。ある時私は、いつもと同じようにいつも一緒にいる友達と話しをしている中で、自分だけがその話題についていけず、どのような反応をすることが求められているのか、グループの中に自分がいて良いのか分からなくなってしまった事がありました。誰かとの関係が悪くなってしまったなどの理由ではなく、ふとした出来事がきっかけで1人勝手に考え込んでしまった結果だったので、誰にも相談しようがないし、たとえ相談しても解決には至らないと思っていました。しかし、何気なく日常的な会話の流れで、別の友達にその話をしてみました。すると、友達はただ私の話に耳を傾けてくれて、自分も同じような経験があり、あまり気にせず今まで通りに過ごしていれば、自然と解消される悩みである事を教えてくれました。私達人間は悩みを抱くものです。目の前で起こっている出来事と、自分の大切にしたい、自分は正しいと思っている事が違うと、人は不安や怒り、悲しみ、不満を抱くものです。そして、そのネガティヴな気持ちが悩みとなるのです。だから、人が悩むことは当たり前であり、悩まない人などいないのです。しかし、悩みを抱えた時、どのように対処するかはとても大切な問題だと思います。私は数多くの悩みの経験を通して、自分一人で解決しようとしても中々上手くいかないことを学びました。友人関係に悩んだ私自身、自分を無理やり変え、自分の持っている能力だけに頼ってなんとかその場を乗り切ろうと試みたものの、解決しない現状にさらなる不満や不安が募ってしまいました。先程読んでいた聖書箇所に、「わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」とあります。ここは、私達は神様に見守られている中で成長していく事が出来、自分の力で良い結果を得ようとするのではなく、神様によって与えられた道を歩むことで初めて、求めているものが見つかるという事を示しているのではないかと思います。

 イエス様はご自身をぶとうの木にたとえられ、私達をその幹につながる枝であるとおっしゃっています。この箇所の通り、私達は神様の御言葉に耳を傾けることで、真に神様に祝福された歩みを送る事ができます。神様が示して下さる道は、苦しい悩みのように、時に困難の道を辿らざるを得ないものかもしれません。しかし、神様は必ず私達にとって最善の道を備えてくださっており、最終的にそこへと導いてくださります。私が友人関係の悩みを乗り越えることが出来たのも、神様が悩みを和らげる言葉をかけてくれる友達に出会わせてくださったからです。木というのは、良い実をつけるために、手入れが施されます。イエス様という木も、私達人間が誤った道、自尊的な道を歩んでしまうのを、御言葉によってそのような悪の部分を排除し、進むべき正しい道を歩ませてくださります。

 私達はイエス様という木につながっている枝であり、自立した木ではありません。だから、一人で苦しみ悩む必要はないということです。いつでも側には神様がいてくださり、見守って下さっています。困難の種類によっては、最終的に自分の力で解決するしかないと思えるものもあるかもしれません。しかし、少しでも辛いと思ったら、誰かに話を聞いてもらうだけでも、気持ちの持ちようが大きく変わります。家族や友人に相談できなくても、お祈りを通して神様に悩みを打ち明けることは出来ます。そして、神様はそのお祈りを聞き入れてくださり、悩みを解決に導く何かしらの策を講じてくださります。このように言葉でいうのは簡単ですが、必ずしもすぐに自分の納得の出来る結果となるとは限らないし、むしろ、さらなる苦しみを持つことになるかもしれません。相談しても意味がないし、苦労が増えるなら、一人で努力した方がいいと、以前私が考えていたように思ってしまう人もいると思います。しかし、私達英和生には、毎朝の礼拝という、心を神様に向ける大切な時間が確保されています。その時間はどんなに忙しい人でも、一人一人が神様と向き合う事の出来る時間です。イエス様と繋がっていると感じる時、それは神様が共にいて下さる事を実感したという事です。それを私は、東洋英和での生活を通してとても感じる事が出来ました。

 私達が幸せを感じている時、苦しんでいる時など、神様は私達の全てをご覧になっています。私達が一人で辛いと思っていても、実際には神様は寄り添ってくださっていて、一人ではないのです。私達高校3年生は英和で過ごす時間も残りわずかとなり、これから先様々な悩み、苦しみを抱えると思います。しかし、そんな時一人で苦しむのではなく、側にいてくださる方がいる事を忘れずに残りの生活を送っていきたいと思います。


お祈りします。天にいらっしゃる父なる神様、今朝もこうして礼拝を守れていることに感謝いたします。

日々の生活の中では、自分の思い通りにいかないこがあり悩むことも多くありますが、そんな時に一人で苦しむことなく、あなたのお恵によって支えられ導かれる存在となれますように。

少しずつ収まってきた新型コロナウイルスですが、今なお苦しみを抱えている人がいます。その方々に私たち以上に大きなお恵みがありますように。

このお祈りを主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げいたします。

アーメン

司会は宗教活動委員

生徒礼拝は奏楽も生徒です

「神様はいつでも共にいてくださる」

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