生徒礼拝(11月16日)

2021/12/6

生徒礼拝(11月16日)

詩編139編17~18節

あなたの御計らいは わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。

数えようとしても、砂の粒より多く その果てを極めたと思ってもわたしはなお、あなたの中にいる。


 卒業も近くなった高3の秋、私は「どうして自分が英和に入ったのか」を思い返しました。

 小学校三年生のときに「赤毛のアン」に出会って、初めて本が擦り切れるほど読み返すという経験をしました。飽き性な私がそこから6年生までずっとアンが好きだったことが、私が英和に導かれることになった一番の理由かなと思います。

 中学受験をするのにもかかわらず、行きたい学校が全く決まっていなくて、焦りを覚えていた小学六年生当時。「好きなもの」から連想して志望校を決めることにした私は赤毛のアンを翻訳した村岡花子さんが卒業した学校があるということを知りました。その時の胸の高鳴りは忘れられません。ずっと好きだった物に近づけるといった高揚感が私を突き動かし、思い立ったらすぐ行動、とばかりに楓祭にいくことにしました。愛知県に住んでいたので、新幹線で東京へ向かったのですが、道中電車が遅延し、ようやく英和に着いたのは楓祭が終わる直前でした。人も少なくて、片付け始めているところもあり、寂しい感じがしましたが、図書室が開いていたので行きました。図書室でやっている赤毛のアンクイズを解いた時、ここが村岡花子さんの出身校なんだ、赤毛のアンに縁の深い学校なんだということを実感して、東洋英和を第一志望にする気持ちを固めたように思います。短い時間でしたが、話した英和生や先生方もみんな笑顔で優しくて、あまり見て回ることができなかったことなど忘れてしまうほど充実した日になりました。

ところで、何故赤毛のアンにここまでのめり込んだのか、その理由を考えた時、ふと小学生の頃の卒業文集が目に留まりました。卒業後どうありたいかの項目で「前向きに楽しく生きること」と書いてあるのを発見した私は、とても驚きました。というのも、高3になってから書いた文章でも同じようなことを書いていたからです。前向きに楽しく、「今いる場所でやれることをやる」というのは昔からずっと憧れて目指している生き方で、大好きなヒロイン像でもあります。アンはその特徴に合致したヒロインで、だからこそここまで好きになったのかなと思います。

 アンシリーズの中で思い入れが深いのは9巻目の「アンの娘リラ」です。なぜこの本が心に残っているかと言うと、いかなる時も前向きで希望に満ち溢れ光り輝いていたアンの世界から、光がなくなってしまうお話だからです。第一次世界大戦が始まり、アンの息子たちは次々と出兵し、そのうちの一人は戦死してしまいます。そんな度重なる悲しみに、「明日」が常に友達であったアンは、明日の朝の訪れを恐れるようになります。そんなアンを慰め、前を向くよう後押ししたのは、アンと真逆の環境で育つ、アンの末娘リラでした。

 アンの物語が始まった1巻目「赤毛のアン」のときのアンの年齢と、「アンの娘リラ」でのリラの年齢がほぼ同じであり、アンとリラ、親子2世代の青春時代のお話を対比して読み進めていくことができるようになっています。アンの娘時代は孤児院から引き取られ、少しずつ交友関係と行動範囲を広げていき、どんどん愛と幸せに溢れていくような、そんな夢と希望に溢れたお話です。対してリラはアンがキラキラとした青春生活を送っていた年齢で、第一次世界大戦が勃発してしまいます。戦争開始時、リラは自惚れ屋でわがままで、勉学も家事も子供も嫌いで甘やかされて育った、美人であることだけが取り柄のような、アンとは似ても似つかない女の子でした。しかし兄や想い人の出兵を受けて、戦争孤児の赤ん坊を引き取って、苦手だった子供を自分で育てようとしたり、チャリティの音楽会を成功させるために、兄を侮辱したアイリーンという子に頭を下げるという内面的な成長が見られるようになります。その極めつけは物語終盤、兄の戦死が知らされ、兄から自分宛に届いたたった一通しかない最期の手紙を、兄が愛したユナに渡す場面です。その優しさは、アンから引き継がれた性質そのものの様に思いました。このように、厳しい戦争の4年間で、リラは「今いる場所でやれることをやり」続け、前向きな、未来に希望を持つ素敵な女性に成長したのです。

 「アンの娘リラ」の本文中で一番印象に残っている場面があります。戦争勃発のニュースからちょうど2年がたった日に「この2年間を、愉快で楽しい2年間に取り換えたいか」と聞かれ、リラがこう答えるのです。

 「取り換えないわ。不思議--でしょう?--辛い二年だったわ--それだのに、妙にありがたいという気持がするのよ--苦しくはあったけれど、なにかとても貴重なものをあたしに与えてくれたような気持なの。そうできるとしても、あたしは二年前に逆戻りしてもとのあたしに返りたくはないわ。」

 毎日を取替不可能なものとして一生懸命に生きたいという強い思いを言葉にした場面です。

 ところで、私が前向きで明るいヒロインが好きな理由は私自身が元々後ろ向きな性格だったからですが、アンに会って、あるいは英和に入って少しずつ変わることができたのか、嬉しいことに最近は前向きだと言われることが増えてきました。それでも、憧れるヒロイン達にはまだ程遠く、沢山文句を言ってしまうし、くよくよ悩むことも多いです。

 ここで今回選んだ聖書箇所、詩篇のことばをもう一度読みます。[あなたの御計らいはわたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。数えようとしても、砂の粒より多くその果てを極めたと思ってもわたしはなお、あなたの中にいる。] この箇所は、ダビデが敵に追われて逃げ回っていた、大変苦しい時期に書かれた詩です。そのような心身共に疲れを覚えているときでも、ダビデは不平不満を言わず、神様から与えられている恵みに集中しています。これまで守ってくださった神様の恵み、そしてこれから導いてくださる神様の恵みは、砂粒のように数え切れないほど多いものであると告白しています。

 恵みというのは、私達が思うよりも身近に溢れています。私でいうと、アンを通して英和に導かれたこと、英和で出会った沢山の学び、友人。そんな日常での出来事一つ一つが私達の糧となり、これから先の未来を照らしてくれる光となります。

 ですから、先のことを思い悩むよりも、今その場所でできることを、そして、ないものを数えて落ち込むよりも、自分が今持つものを数え、そのことに感謝できる人間になりたいと心から思います。


お祈りします

天にいらっしゃいます父なる神様。今日も新しい朝を迎えることができ、こうしてみんなで礼拝を行えることを感謝します。

私たちはどうしてもちょっとしたことに不満をもったり、嫌になったりしてしまいます。そんな時にも楽しさを見つけ、今いる場所に感謝し、前に進む勇気を私達にお与えください。

今日も一日お守りください。

このお祈りを主イエスキリスト様のみなによってみまえにおささげします。アーメン。

密にならないよう

大講堂で初めての奏楽

先のことを思い悩むよりも、今その場所でできることを、そして、ないものを数えて落ち込むよりも、自分が今持つものを数え、そのことに感謝できる人間になりたい

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