生徒礼拝
「第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」(マタイによる福音書22章39節)
今日、お読みしていただいた聖句にある、『隣人を自分のように愛すること』、つまり他者のために思いやりをもって行動することは難しいけれど、まさに生きていく上でとても大切なことだと、様々な体験や英和での生活を振り返って思っています。
私は高校1年の1月から3月にオーストラリアでの短期留学に参加しました。現地女子校での授業初日の出来事です。その学校での授業はすべて大学のように選択制だったので毎授業、移動を行わなければなりませんでした。私は緊張していたこともあり、広い構内で迷子になってしまい、どこに行ったらいいかわからず動けなくなってしまいました。するとそんな私の姿を察したのか、一度も話したこともなく、学年もわからない近くにいた学生が話しかけてくれ次の授業があるにも関わらず、私を教室まで連れて行ってくれたのです。私は、私の困っている姿を察して助けてくれたその子の優しさに胸が温かくなりました。その他にも、多くの場面で、たくさんの人の助けや優しさに触れ、そのおかげで自分から話しかける勇気が持てました。そして学年問わず多くの友達を作ることができ、充実した時間を過ごせました。たとえ言語が違っても、育った環境が異なってもそのような思いやりの心は変わらない世界共通のものであるのだと気付かされ、他者の立場に立って考えて行動することの大切さを改めて実感しました。
私は他者のことを思ってする行動は人の心を動かすことができるからこそ、人を思いやることが必要なのだと思います。そしてそのような思いやり、優しさの輪は世界共通であり、目には見えないけれど、私たち人間の心のなかに広がっていくものなのではないかなと考えています。
しかし、現代社会では、そうした思いやりをもって接するということがすべての人にとってあたりまえではなく、なかなか実行できない人がいるのも事実です。そのため、日々「思いやり」に欠けた痛ましい事件がたくさん起こっています。最近でいうと、ツイッターや掲示板などインターネット上に心無い書き込みをして他人を傷つける誹謗中傷が問題になっており、時にはそれが自殺にまで追い込んでしまう事態になっています。書き込んだ人は、ただ自分の自己満足のため、利益のために軽い気持ちで書き込んでいるのかもしれません。ですが、この行為は知らず知らずのうちに書かれた人の心を深く傷つけることにつながっています。思いやりがないだけで自己中心的で無責任な行動に出てしまうのは人間の弱い部分に思えます。もし相手の立場に立って考える意識や心構えがあったら、このようなことは決して起こらないはずです。
人と比べられたり、評価されたりして思い通りにならない現実に、無意識のうちに自分中心になってしまいつい他者にきつくあたってしまって思いやりの心を持って接することができないときが誰にでもあると思います。たしかに、私も今、大学受験という現実に行き詰まり計画した勉強を思い通りにこなせず、また満足行く結果を得られずつい応援してくれている人たちに強くあたってしまうことがあるなと自覚しています。また将来、今それぞれが抱えている困難よりももっと大変な状況が待っているかもしれません。しかしながらそのようなときこそ冷静になって、思いやりの心をしっかりと持つべきなのではないでしょうか。
先日、私は哲学者・鷲田清一さんの「自分この不思議な存在」という本を読む機会がありました。そしてその本の中に「他者にとっての他者であること、それが自分で自分を確認できるたったひとつの方法なのだ」という言葉がありました。私はその言葉から、生きていく上では必ず誰かと関わり合い、助け合うことが必要で、そうすることによって自分を見いだせるのだと感じました。
誰かと関わり合い、助け合うなどの人を思いやる中で一番身近な行動は、感謝することではないかと思います。そしてそれは、聖書の御言葉と通ずるものがあります。テサロニケの信徒への手紙の「すべての事について、感謝しなさい」という言葉です。他人になにかしてもらったら、「ありがとう」と直接感謝を伝えることで、より良い関係を築くことにつながりますし、それらは人としての礼儀でもあります。また、挨拶も欠かせないものの一つです。まだあまりしゃべったことのない友達に朝、「おはよう」と挨拶をされると、心の距離が近くなった気がしますし、逆に自分から挨拶することでもそれは感じられます。挨拶をすることで他者との関わりを意識することができます。そのような身近な行動ひとつでも人を思いやることはできるので、今日一日そのことを心に留めて生活してみませんか。
私達は、東洋英和という学び舎で、多くの友人や先輩、後輩、先生方との交流はもちろん、聖書の授業や様々な行事、毎朝の礼拝を通して神様の大きな愛、優しさについて学び、共感することでその大切さを感じる機会が与えられています。このことは、充実した毎日において一見忘れがちになってしまうことでもありますが、改めて考えると決して当たり前ではなくとても恵まれていることだなと感じられます。
それらすべてをしっかりと心に留め、残りわずかとなった英和での生活を大切にしたいです。そして神様から与えられ神様が望んでおられる思いやりの心、そして優しさを自分から他者に与えられる人になれるようにこれからも努力していこうと思います。
今日のお話は高等部の3年生
奏楽は高等部2年生オルガン科