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2021年10月 生徒礼拝<高等部3年>

2021/10/13

生徒礼拝 高等部3年

 

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コリントの信徒への手紙12章27節

あなた方はキリストの体であり、また、一人一人はその部分です       


 皆さんは、自分が周りと違うことを恥ずかしく思った経験はありますか?他の人の生き方、考え方と合わせるために自分の考えを曲げ、他の人と同じであるようにと自分自身を変えようとした事がありますか?今、皆さんは自分自身にどれくらい自信を持っているでしょうか?

 私は今、高校三年生になってやっと、少しずつ「自分が自分である事」に自信が持てるようになってきました。そして、「周りと違う自分らしい自分」を今は誇りに思っています。しかしそんな私も、小学生の時は自分のことを誇りに思えたことなど一度も無かったのを覚えています。皆と同じにならなければいけない、でも同じになれない自分に子供なりにイラついていたのかもしれません。

 私は小学生の時、問題児でした。かなりのいたずら好きだったのです。これは、決して誇れるようなことではありません。おそらくたくさんの人に迷惑をかけた事でしょう。そんな中でいつもいつも、自分を一番嫌っていたのは、誰よりも自分自身でした。そんな私は、小学部で「神様はどんな私達をも愛してくださり、導いてくださる」と、教わりました。でも、どんなに先生にそう言ってもらってもそれを信じることができませんでした。神様はこんな私のことを愛してなんかいないし、導いてくださるわけがない、とそう信じ込んでいました。周りと違うということから、自分自身にも、自分の考えや意見にも自信が持てなかったのを覚えています。

 ですが今、私はやっと周りと違うことの素晴らしさを理解できるようになりました。それは、人は皆違うからこそ、その違いを理解し合い、互いに学び合い、互いに助けあう事ができるのだという事に気付かされたからです。どうして私がこのように考えられるようになったかを今日は少しお話しようと思います。

 私は、昨年の夏から一年間アメリカのメイン州に留学していました。現地の学校に到着し、一番初めに肌で感じたものはアメリカ人の学生たちからの差別や偏見でした。まるで私がコロナウイルスを持っているかのような態度をとられるなど、全く理解できない偏見を感じました。本当にショックでした。そして、それは自分がアメリカ人である彼らと異なる外見を持ち、異なる文化を持つ日本人、つまりアジア人だったからです。また彼らの様に流暢に英語を操る事もできなかった私は、『自分が青い目を持ち、英語を巧みに話し堂々と振る舞うアメリカ人だったら良かったのに。』と思ってしまったこともあります。

 しかしそんな経験から始まったアメリカでの生活の中で出会った人たちは、差別をしてくるような人たちだけでは決してありませんでした。私はたくさんの異なるバックグラウンドを持ち、異なる言語を話し、そしてそれぞれの価値観、考え方を持つ人たちと出会いました。私が一番仲良くなった友達は、2006年に独立したモンテネグロからバスケットボール選手になるためにアメリカにやってきた子でした。モンテネグロの人口は、62万人ほどと小さな国ですが、とても海の綺麗なリゾート地として知られています。私はそれまで、モンテネグロという国の名さえも聞いたこともありませんでした。どこにあるのか、何語を話すのか、どんな文化を持つのか、そんなことも知らなかったのにも関わらず、お互いをわかりあえる深い友情を築く事ができました。私たちは、今まで生きてきた人生、育った環境、全て違いました。できることや、特技も性格も、全く違いました。ですが、その違いのおかげで、時にお互いを励まし合い、支え合うことができたのです。

 私はこの一年の間に、こうしてたくさんの、自分とあらゆる意味で違う人たちと出会い、やっと、今まで「自分自身を殺してでも周りとはなるべく同じ方がいい」と考えていた自分は間違っていたことに気がつきました。そして、周りと違っていても、真の自分として生きることは本当に楽しいことであると気がつきました。

 この、アメリカでの自分と全く違う人たちとの出会いが、私が現地に暮らす白人と違う見た目を持つアジア人であること、深く美しい文化を持つ日本人であること、そして何より自分が自分自身であることに少しずつ自信を持たせてくれました。今でも、自分が小学生の時に問題児であり、周りに迷惑をかけた過去を誇りには思っていません。しかし、そんな過去も含めた全ての経験が、確実に今の私を作ってくれたと実感しています。

 この世界には、たくさんの人がいます。そしてそれぞれが異なる肌の色を持ち、異なる言語を用い、異なる文化を育み、それぞれが異なる考え方を持っています。「あなた方はキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」この聖書が私たちに語りかけているように、私たち人間はそれぞれに異なり、それぞれの役割も違います。でもそんな違いがあるからこそ、互いの足りない所を補い合い、互いを支え合い、そして互いを分かり合えたときの喜びを共有し、自分自身であることの誇りを感じる事ができます。

 周りと違うことを恥じる必要はないということに、自分自身を受け入れそのままの自分を愛してあげる事の大切さに、もっと早く気付いていれば良かったと思います。なぜなら、周りと違うことを恥じずに、自分らしく生きることは何よりも他者を尊重し愛する事に繋がるからです。そして、生きる事が楽しくなります。

 私たち高校三年生は、もうすぐ卒業します。卒業後、どんな新しい世界が私たちを待ち受け、そこでどんな新しい人々と出会うかは全くわかりません。正直、私は不安でいっぱいです。ですが、きっと新しい世界でも、そこでまたたくさんの自分と違う人々と出会い、時にはその違いに戸惑いつつも、お互いを理解し合っていく。そんな繰り返しが、きっと私たちの人生を、濃く味わい深いものにしてくれるのだと思います。

入場も距離を取って

司会は宗教活動委員

生徒礼拝では奏楽も生徒です。

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