6月23日の朝の礼拝:水上先生

IMG_1855.JPGマタイによる福音書 第7章1節~6節

人を裁くな


1.人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。

2.あなたがたは、自分の裁くさばきで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。

3.あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。

4.兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。

5.偽善者よ、まず自分の目から丸太をとり除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。

6.神聖なものを犬に与えてはならず、また真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。


 私たちが読み進めているマタイによる福音書5章~7章の一連の教えは、「山上の説教」と呼ばれ、イエス・キリストの色々な教えがちりばめられています。

 今日、与えられた聖句は、私自身とても考えさせられる箇所です。

 自分の欠点には案外気づかず、自分のことを棚にあげている私たちに対し、イエス様は「人を裁くな。」と語られました。

「偽善者よ!」という少し厳しくも感じられる語りかけに、私自身はハッとしてしまいましたが、皆さんは如何でしょうか。

3節にある、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中にある丸太に気づかないのか、というところは、丸太が目の中に入るわけないじゃない、と思いつつも、イエス様はこのような極端なたとえを使って私たちが気づくことのない事実があることを語りかけているようにも感じられます。

 英和を卒業して、大人になってからできた友人に、「英和生」はいい意味でお節介だと言われたことがあります。

お節介でお世話好きの英和生ばかりではないと思いますが、振り返ってみると、私は小さい頃からお節介で、自分の正義を他の人に押し付ける悪い癖があります。

 そんな私も若い時ほどのパワーがなくなり、深入りすると面倒だから、干渉しないようにしよう、と思うことが出てきました。気になることがあっても、無関心でいよう、一定の距離をとるということです。そのほうが相手に不快な思いもさせないし、自分は傷つかなくていいと思うからです。

 しかし、聖書は相手を尊重しながら、自分の丸太をとって、他人の目にあるおが屑を正しく見極め、取ってあげなさい、私たちの目は、他の人を生かす目にならなければいけないといわれているのです。

バランスをとるのってとても難しいですね。

 今日は、一冊の本を皆さんに紹介したいと思います。図書室にもあるので、興味がある人は読んでみてください。

ブレイディみかこさんというイギリスで保育士をしながら、作家になった人がいます。

 「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」という本を書きました。

この本は、ブレイディさんの中学生の息子さんが学校生活を描いたエッセイです。その中で、ブレイディさんが「sympathy(シンパシー)」と「empathy(エンパシー)」の違いについて説明しています。

シンパシーは、日本語にもなっていますが、「同情」とか「かわいそうと思う心」

分かりやすくいうなれば、シンデレラの物語を読んでシンデレラに同情する気持ちは「シンパシー」です。

一方、エンパシーは、相手の気持ちに共感する力のことをさします。つまり、相手の気持ちに立って物事を考えられるかどうか、ということです。

 またしてもシンデレラのお話に例えると、舞踏会に行かず、家に残って掃除をしているシンデレラは、いったいどんな気持ちだったのだろう、と想像して感じることが出来るのが「エンパシー」です。

ブレイディさんは、これからの時代、必要となるのは、同情するシンパシーではなく、

共感するエンパシーだとおっしゃいます。

 みなさんがこれから関わるであろう多くの人の中に、理解できそうにない行動をとる人が出てくるかもしれません。

「この人、何考えているのだろう?どうしてあんなことをするのかな。」「どうしてみんなにいい顔するのかしら?」と想像する力を育てることは、相手とちゃんとコミュニケーションをとるのに必要な能力です。

 こうあるべき、こうであってほしいという自分の持つ価値観で、どうしても人を見てしまいますが、想像して共感するエンパシーを育んでいきたいと私自身、祈り求める日々です。

 今日は、大講堂に中学3年生がいますね。

皆さんは、来月には二泊三日の共同生活野尻の夏期学校が控えています。中学3年生以外の方も、これから本格的にクラブや委員会活動、そして受験勉強がますます忙しくなってくることでしょう。

今日の御言葉から、人の目にあるおが屑について、お節介をやきすぎないこと。あなたの目にも丸太があるじゃないの。お互いの欠点をあげへつらっても、結局他の人もあなたも同じじゃないの?ということを学びました。

 6節を見てください。ここは、ことわざの由来にもなっている箇所です。なんのことわざだか考えてみてくださいね。

イエス様は、「真珠のように尊い教えを授けても、相手に理解できなければその値打ちがわからない」と言っておられます。イエスキリストの教えは、今日お読みした聖書に書いてある真珠に値すると考えられます。

 私たちは、同じ神様のもとで生きるものとして、裁き合うのではなく、許しあって生きていきたいと今朝の聖句をを読んで感じました。皆さんは、どんなことを考えるでしょうか。それでは、お祈りを捧げましょう。


【お祈り】

天にいらっしゃいます父なる神様、今朝もこうして礼拝をもって一日を始められることを心から感謝致します。

今朝は、人を裁くな、というみ言葉を与えられました。イエス様が「人を裁くな」といわれたとき、神様の前で、私たちが他者をどのように見て、どのように接しているかを問うていらっしゃるようにも考えさせられました。

毎日の生活のなかで、イエス様の教えの通りに生きることなど到底無理な話だと思ってしまう私たちです。自分の目にある丸太に気づくことのない私たちの目から、ちりがとりのぞかれ、澄んだまなざしをもって主に従い、歩みを進めていくことができますように。

今日、様々な事情で、学校に来ることが出来なかったお友だちや、先生方のことをおぼえます。どうぞその場にあって、あなたの恵みが豊かにそそがれますように。

これまでの生活と大きく異なり、困難な状況にある私たちですが、どうぞ小さなことに感謝することを忘れず、今日も学校や家庭だけでなく、様々な場面でたくさんの「ありがとう」という感謝のことばを伝えることができますように。

このお祈りを、主イエスキリストの御名によって御前にお捧げ致します。

アーメン

前のページへ戻る
TOP