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2016年9月 生徒礼拝<高等部3年>

マタイによる福音書 11章28

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。


「為せば成る」

 皆さんには、好きな言葉はありますか?今日は言葉の持つ力について考えてみたいと思います。

 突然ですが、私はテレビコマーシャルを見るのが好きです。最近は特に印象に残るユニークなCMが多く、それぞれの個性が光る作品はどれも面白いなあと思って見ています。

 先日、こんな印象的なCMを目にしました。

 ドラマ仕立てのこのCMは、初めての単身赴任に苦戦する夫と、家で幼い子供たちを育てる妻というごくありふれた夫婦を中心に進んでいきます。夫は仕事でうまくいかない日々が続いていましたが、離れて暮らす家族をいつも気にかけており、妻に「そっちも頑張って!」とメールを送ります。

 一方メールを受け取った妻は、毎日家事に子育てに自分なりに頑張っているのに上手くいかないことにストレスを溜めていました。そんな時に夫から何の気なしに「頑張って」という言葉が送られてきたことに違和感を覚え、「頑張ってるんですけど」とそっけない返信をしてしまいます。

 その返信を見た夫はうまく伝わっていなかったことに気づき、夜行バスに飛び乗り家に帰ります。久しぶりに家族との時間を過ごし、慣れない生活で疲れていた夫婦にも笑顔が戻ってきた...というストーリーです。これはとある有名な通販業者のCMで、ストーリーは正直どこが通販なのか見当もつかないような内容ですが、思いを言葉にして伝える難しさ、そして相手を思いやる気持ちを改めて実感させられる素敵なCMだなと思いました。

 さて、古代日本においては、言葉に神秘的な霊力が宿る「言霊」という考え方がありました。現代においては言霊の霊力が信じられることはあまりないとは思いますが、このCMからも考えさせられるように、言葉には大きな力があります。ある人からかけられた言葉によって大きな勇気をもらったり、感動させられたり、思いを共有できたりと、もちろん言葉はプラスに働くことが多い便利なものです。しかし、うまく伝わらなかったとき、言葉は人を悩ませ、時には傷つけてしまうこともあります。

 私は素敵だなと思った言葉をノートにメモするようにしています。気が付いた時に書き留めて、たまに見返しています。

 内容は、知り合いがかけてくれた言葉や、映画の中のセリフだったり、本を読んでいて見た綺麗な文章だったり、テレビでたまたま耳にした言葉だったり、様々です。

 このノートに書いてある言葉で、特に私の心に深く刻み込まれている言葉があります。

 それは私の祖父が、私が幼いころから口癖のように言って聞かせてくれた言葉です。

 「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」

 これは江戸時代に米沢藩、今の山形県の藩主だった上杉鷹山が家臣に伝えた言葉だとされています。「どんなことでも、実行に移せば可能性はある。なにもやらなければ可能性はない。成果が得られないのはその人の意志や努力が足りないのだ」という意味だそうです。

 小さい頃は飽きるほど聞かされて訳もわからず唱えていましたが、大きくなってからその意味を調べてみると、昔から祖父母がずっと言い続けてきてくれたアドバイスそのものでした。

 先日も迷っていることがあって祖母に相談したのですが、祖母は「高校生活もあと少しなんだから、やりたいと思ったことは若いうちになんでもやってごらんなさい」と私の背中を押してくれました。今の私がこの「為せば成る」の言葉に相応しいかと考えると、自分はまだまだ未熟であることに気づかされます。私にとって、この言葉はそのような気づきを与えてくれるものでもあり、自分の中で何かの基準になっているもののような気がしています。どんなことでも興味を持って実行に移し、努力できる人でありたいと思います。

 話は少し変わりますが、私はYWCAに所属していたことをきっかけに手話を学びたいと思い、テレビや本を見ながら独学ではありますが手話を少しずつ勉強しています。

 手話は、独自の語順や独自の文化を持っているので、日本語とは別の一つの言語だという人もいます。近年「語学として手話を学ぼう」と、外国語を学ぶのと同じような感覚で趣味として手話を学ぶ人も増えているようです。ひとつの言語と言われているだけあって、手話は表現ひとつとっても日本語の表現とはまた異なった美しさがあります。例えば、「ありがとう」という手話は、目の前で手をこのように上に上げます。これは相撲で、力士が報酬を受け取る際に「心」という字を空書きして手刀を切る習慣からできた表現だとされています。これを初めて知ったとき、日本の手話独特の美しい表現の奥深さに感動したのを覚えています。それも、この表現自体が元来持っている力があったからこそではないでしょうか。私がこのような感動を覚えたことも、ある意味言葉の力によるものなのかもしれません。きっと聖書の言葉も、このような言葉の力を持つものだと思います。

 6年間毎朝聖書の言葉を聞くというのは、そう多くの人がしている経験でもありません。毎日歌う讃美歌も、素敵な歌詞のものばかりです。これらの言葉は知らず知らずのうちに私たちの心に深く刻み込まれているのではないでしょうか。そのような素敵な言葉に囲まれてこの6年間を過ごせたことは、私たちにとって必ず大きな宝物になっていくと思います。

 先ほど読んでいただいた聖書箇所は私が好きな言葉の一つで、何度も私の心の支えになった言葉です。今は期末テストやそのあとに控える学校行事の準備にみんな疲れ切っている時期ですが、いつでも私たちを見守っていてくださり、休ませてくださる方がいらっしゃるということを気づかせてくれる箇所だと思います。

 この後歌う讃美歌も、私が一番好きなものを選ばせていただきました。私はこの453番を歌うたびに、中3の時に楓祭当日の朝の礼拝で歌ったことを思い出します。私にとってこの年の楓祭は特に忘れられない年で、その思い出が讃美歌を歌った小講堂の情景と共に思い出されます。このように、言葉は時に思い出や自分の感情を思い起こさせるようなきっかけにもなりうると私は思います。

 私にとってこの校舎で過ごせる時間も残り少なくなってきました。たくさんの思い出を作り、たくさん素敵な言葉と出会って、半年後には今より少しでも成長した私で卒業できるように、限られた時間を大切に楽しんでいきたいです。

 最後に、また始めと同じ質問をして話を終わりにしようと思います。

 皆さんには、好きな言葉はありますか?

 素敵な言葉との出会いは、必ず自分にとっての大きな宝物になっていくと、私は信じています。

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