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2015年9月 生徒礼拝<高等部3年>

テサロニケの信徒への手紙一 5章16~18

 『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。

これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。


「 原点 」

 今回ここでお話する依頼をいただいたのは、高三修養会の朝拝でお話した時でした。今日はその時のお話を皆さんにもしたいなと思います。高三は遠くなつかしい修養会のことを思い出しながら聴いてくれたらと思います。

「今日がこの世で最後の日だったらどうする?これだけなのか?自分がやりたいことはこれだけか?何か抜けているんじゃないか?と時には考えないと。」

高二、高三の中には、もしかしたらピンとくる人がいるかも知れませんが、これは高二の英語副読で扱っている「モリー先生の火曜日」からの一節です。この本は、難病ALSに侵されたモリー・シュワルツ教授が、死を前にして、かつての教え子である筆者に贈った「最後の授業」を記録したノンフィクションです。大学卒業後、久々にモリーのもとを訪れた筆者に、モリーは恐れや欲望、家族や死など、人生の大きなテーマについて語り、考えさせます。先程紹介した一節も「後悔」をテーマにモリーが語った言葉です。

最初、この箇所を読んだとき、私は正直あまりモリーの言葉に賛同できませんでした。今日が最後の日でも悔いのないように、やり残したことがないように、そんなことが本当に可能なのかと疑問に思ったからです。モリーは、「ただ暮らしをつづけるために数知れないことにかかわっていかなければならない。これではちょっと立ち止まって反省する習慣がつかないよ。」とも言っています。しかし、立ち止まって、やり残したことはないかと考えてみても、実際には実現できない多くのことにつきあたります。将来の自分のために、今を犠牲にすることも少なくありません。高三となった私たちも、すぐには結果が得られないことに向かって、時間や労力を費やしている最中です。今日がもし最後だったら、そんなことならもっとやりたいことに時間を使っておけばよかったと、後悔せずにはいられないだろうと思うのです。しかし、実際には、今日が最後とは言えない以上、時にはやりたいことを我慢して、なすべきことをこなさなくてはいけません。こうした板ばさみの中で、今日が最後でも、やり残したことはない、悔いはないといえる人は、どれくらいいるでしょうか。

しかし、その後、私はあることに気づかされました。モリーが、抜けていないか立ち止まって考えるべきと言っている「やりたいこと」とは、ただ時間を自由に使って遊んだり、というような意味ではないのでは、ということです。今日が最後でも悔いのないよう、やり残していないか確認しなくてはならないのは、どんなに小さなことにも感謝する、喜びを見出す、そのようなことではないかと思います。友人や家族に感謝の気持ちを伝えたり、苦労の中にあってもささやかな瞬間に幸せを感じ、「今」を楽しむ。このようなことは、どんなに忙しく過ごしていても、実現できることではないでしょうか。

修養会のテーマは「原点」でした。私はこの「原点」とは生涯を通じて考え方の基盤となる、一種の土台のようなものととらえています。モリーの言葉から実感させられた「感謝」や「喜び」の大切さも、私の「原点」となりました。幼少期から身近にあった聖書の言葉や礼拝のお話にも、私の「原点」となっているものがあります。今日の聖書箇所も、そのうちの一つです。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」

周囲の人に感謝を伝える、ということもですが、何よりもまず命を与えられたことに感謝しなくてはいけないと感じます。人は、自分の力で勝手に生きているのではなく「生かされている」そう認識

することによって、健康でいられることひとつとっても、決して当たり前ではなく、喜ばしいことと感じることができます。この感覚を「原点」として持つことによって、いかに自分が恵まれているか、常に意識することができ「喜び」や「感謝」とともに、悔いのない生活につながっていくのではと思います。

将来、社会に出て、悩んだり、とまどったりする時、どこに価値をおくか、という「原点」は最善の道を選ぶ、重要な手がかりになると思います。しかし、「原点」との出会いは、年を重ね、社会に出て、ものごとをじっくり考える余裕がなくなるにつれて、減っていってしまうのではとも思います。もしかすると、この中高での学びが、「原点」と出会える最後の機会かもしれません。なにより、授業や礼拝、数々の行事、くだらないことでたくさん笑い合える友人との時間、知識だけでなくかけがえのない数々のものを得た東洋英和での学びも、間違いなく大きな「原点」になると思います。卒業すれば、皆ばらばらの方向に歩き出します。しかし、私たちには「立ち返る場所」があるということを覚え、喜び、感謝して、中高生活「悔いのないように」すごしていけたらと思います。

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