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2022年度高等部2年生~修学旅行~

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 5月中旬、高等部2年生たちは「一路、異国情緒あふれる街、長崎へ!」2泊3日の修学旅行に出かけました。探究活動での新聞作りのための長崎取材ツアーから始まり、第2次世界大戦の記憶の残る遺構巡りで平和学習、浦上天主堂での礼拝を守りつつ、日本でのキリスト教の歴史に触れられる貴重な機会から、はたまた長崎市内名所探訪自主見学食べ歩きツアーまで、2泊3日とは思えない程充実したプログラムを過ごしました。宿泊行事は中学2年生の夏期学校以来と、期待に胸躍らせる高校2年生たち!そんな彼女たちとは裏腹に飛行機を降りた一行を待ち受けていたのは2泊3日の雨、雨、雨。長崎は今日も雨。それも大雨。槍玉にあげられる「アメオトコ」と専ら噂の担任。
 しかしそんな連日の雨模様は物ともせず、全てのプログラムを全力で楽しむ生徒達。やはり座学だけでは得られない学びと触れ合いがそこにはあることを実感させられます。ここ暫くは新型感染症の影響で、様々に工夫を凝らした校内イベントや、オンラインイベントを開催してはいたものの、実体験に勝るものなしと再認識。そうは言っても完全に元通りというわけには行かず、制限付きの部分は残っておりまして、例えば早朝の抗原検査に、卓袱料理を黙食でいただき、寝るときはフェイスタオルで口元を覆うなどなど、様々なところで配慮が施されました。(若干24歳添乗員の方の圧巻のマイクパフォーマンスにより私達の卓袱料理黙食は守られたことをここにご報告致します。)このような制約は課されながらも生徒達は久しぶりの宿泊行事を満喫した様子でした。多くの学びを得ながらも、友情を深めることが出来た今回の修学旅行、「長崎はやっぱい、よかとこやったね~、また行きたかね~」ということで、ここからは修学旅行委員長からの報告をお届けいたします。


 私たち高校2年生は5月11日から13日にかけて修学旅行で長崎へ行って参りました。新型コロナウィルス感染拡大により、この2年間は多くの学校行事が延期や中止を余儀なくされました。今年度は、感染状況を踏まえつつ、実施できる道を模索した結果、2泊3日という形にはなりましたが、みな笑顔で旅路に就くことが出来ました。コロナ禍にも関わらず、受け入れてくださった現地の方々、またこのような機会を設けてくださった先生方には心から感謝しています。
 1日目は、早朝抗原検査をそれぞれ行い、陰性を確認後、羽田空港を出発して2時間ほどで長崎に着きました。生憎の雨の中、ホテル名物の「皿うどん」を頂き、総合探究の新聞製作のためのインタビューを行いました。各班それぞれの研究テーマに沿った質問に基づいて、現地の方々から貴重なお話を直接伺うことができたことは、大変参考になりました。こちらに関しては、今後新聞を製作する形になりますので、そちらをご覧ください。

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夕食は黙食を徹底の上、ちゃんぽん、角煮まんじゅうなどの長崎ご当地グルメを、とても美味しくいただくことができました。

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 2日目は、浦上天主堂にて特別礼拝を行いました。江戸時代、日本で唯一西洋に開かれていた長崎は、キリスト教にまつわる歴史が深い教会の街でもあります。その代表格といえるのが、原爆の爆心地から500mほど離れた丘の上に建つ浦上天主堂です。「異国へと繋がる長崎の広い空にそびえるレンガ造りの壮麗な大聖堂、中に入るとひときわ目を引く、宝石をまき散らしたような色とりどりのステンドグラス、建築当時は東洋一の規模を誇る」浦上天主堂での礼拝は心に残る大変貴重な経験となりました。礼拝では久志神父による、原爆当時の実体験を交えたこの教会の歴史についてのお話を伺いました。信徒たちの大切な祈りの場であり、誇りでもあった浦上天主堂を悲劇が襲ったのでは1945年8月9日のことでした。アメリカ軍によって原爆が投下されると、浦上天主堂は爆風を受けて全壊しました。ある者は原爆の熱線を受け、ある者は崩れた瓦礫の下敷きとなり、その場にいた司祭信徒の全員が死亡するという大惨事となってしまったそうです。その後、無事再建された浦上天主堂は、キリスト教徒の心の拠り所として、また被爆からの復興のシンボルとして、今も長崎の丘の上に建ち続けています。

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 天主堂での特別礼拝が持たれた後は、自主研修です。自由に4人ほどのグループを組み、長崎観光を満喫する自主研修。移動には市民の足として親しまれる長崎ならではの路面電車を使い、私達のグループは港情緒あふれる出島へ向かいました。鎖国時代、日本で唯一ヨーロッパに開かれた貿易の窓口であった「出島」。オランダ商人の家を忠実に再現した施設では、巨大な地図や映像を使い、出島と世界のつながりや、使われていた道具・歴史を紹介する当時では珍しかったであろう貴重な資料が豊富に展示されており、出島が持つストーリーや役割・存在意義について、思いを巡らせることができました。長崎らしい和洋ミックスのハイカラ文化を活かした着物体験はとりわけ多くの生徒の心を掴んだようで、皆華やかな着物に身を包み、観光に興じていました。他にも長崎中華街での食べ歩きや、有名なグラバー園や眼鏡橋に足を運ぶなど、それぞれの楽しみ方で、充実したひとときになったのではないかと思っています。

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3日目は、遺構巡りでした。「遺構巡り」とは証言の会の方とともに長崎に投下された原子爆弾の被害を伝える遺構を巡る平和学習プログラムです。まずは原爆投下の中心の地で、平和を願う場でもある平和記念公園で、証言の会の方からお話を伺いました。殆どの方が両親や兄弟を原爆で亡くされた被害者遺族で、当時の状況を知るにあたり、とても貴重な機会となりました。思わず耳を塞ぎたくなるような被爆者の凄惨な死に様のお話や、見るに忍びない後遺症の写真などを通し、いかに原爆が非人道的であり、恐ろしいのか考えることができました。当時の人口24万人の内、死者数は15万人、戦争災害の非日常性が伺えます。公園内には、「平和記念像」を筆頭に、『水を』と言いながら亡くなった原爆犠牲者の霊に捧げる噴水「祈りの泉」、北風と太陽をモチーフにした、温かい心で人間関係を築いていこうというメッセージがこめられた「平和のマント」など、15個の平和を祈念したモニュメントがありました。

 証言の会の方が、爆心地の三角柱が女性の像に変わる議論があったというお話をしてくださいました。三角柱では何を表現しているのか分からない、被爆した女性の像にしようと考えた人がいたそうです。しかし殆どの人が反対しました。その女性の像があまりに綺麗過ぎたからだそうです。被爆当時の女性や赤ちゃんは熱線で溶け、原型を留めておらず人間かどうかさえも判別できない状態にありました。私はこのお話を伺った時、原爆を経験していない人が誤った歴史認識を後世へ残してしまうことの恐れに気がつきました。実際より見た目の良いものを残してしまえば、戦争の真の残虐さを知ることができなくなってしまいます。だからこそ今、こうして被爆を経験した方々の生の声に耳を傾けることができる機会に心を寄せ、決して変えることなく未来へ伝え続けていきたいと、強く胸に刻みました。その後は原爆資料館を訪れました。資料館では、「被爆資料や被爆の惨状を示す写真の展示」をはじめ、「原爆が投下されるに至った経緯」、「核兵器開発の歴史」、「平和希求などのストーリー性に富んだ展示」が行われていました。学校の授業やテレビ番組を見て、原爆の歴史を理解したつもりになっていましたが、この遺構巡りを通して、「何も知らなかった自分」と「伝えなければならない歴史」に気づくことができました。当たり前に居場所があり、笑顔で毎日を過ごしている私達が、普段考えることのない「真の平和」について過去を知り、未来を見つめ直す機会にもなったと思います。

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 この3日間、長崎の伝統や文化を感じただけでなく、戦争・原爆の悲惨さや人々の優しさにも触れた旅行となりました。今回の修学旅行は先生方や旅行会社の方のお力添えのもと、私達一人ひとりが感染予防への意識を高く持った生活を続けられたからこそ、実現できたものだと思います。初めは多くの制約の中楽しむことができるのか、不安もありましたが、旅行を通して学級、学年の団結力も高まり、更に自分を成長させてくれたのは勿論、皆が楽しめて一生記憶に残る有意義な修学旅行になったのではないかと感じています。私達をサポートしてくださった多くの方々に感謝し、修学旅行の報告とさせていただきます。

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