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東日本大震災被災地ボランティア報告

2012年3月1日、3月13日高三学年礼拝にて

 

進路が決定した高等部3年生が、東日本大震災にて甚大な被害を受けた地域でのボランティア活動に行って参りました。貴重な体験を仲間と共有するために、3月の高三登校日の学年礼拝において4名の生徒から報告がありました。その中から3名の生徒の報告を掲載します。

 

NPOカタリバを通じての被災地ボランティア活動(岩手県大槌町)  2011年度高三 羽田優花

 

私は村尾さんと一緒に2月21日から24日までの4泊6日間、伊藤さん・二宮さんペアと同じく、岩手県大槌町で中学3年生対象の学習指導のボランティア活動に参加しました。大槌町までは池袋から夜行バスで約10時間かかります。気温は多少低かったのですが、沿岸部のため雨や雪が少なく過ごしやすい気候でした。東日本大震災が起こるまではどれほど和やかな生活が送られていた土地であるかを偲ばせるようでした。家々の基礎部分のみが遥か先まで広がっていました。全て海に呑まれ空しさが漂う風景でした。
さて、私たちが着いた頃、宿泊予定のシェアハウスではインフルエンザが大流行していました。その為、その日到着した6名は近くの大念寺というお寺に泊まらせていただくことになりました。御堂で雑魚寝することを覚悟していたのですが、有難いことにその隣の和尚さん一家が住む家の一階を貸していただいたので広くて暖かい空間で皆と共に楽しく過ごすことができました。
学習指導のボランティア活動は近くのふれあいセンターで行い、高校受験を控えた中学3年生のお勉強を見るというものでした。基礎クラスと応用クラスがあり、私は基礎数学クラスの子を2、3人ずつ見る機会が多く与えられました。生徒達は休み時間に元気一杯にはしゃぐ明るい子ばかりで、勉強意欲もあり、将来の夢、例えば美容師、看護士、宇宙飛行士になりたいという夢を持つ子もいました。しかし、この基礎クラスには元々母子家庭だったり、震災で両親を失った子も多く、また、ほとんどが仮設住宅に住んでいるという現実でした。この地に生まれてたった15年の間にあまりにも様々な経験をし、それを乗り越えてきた若き勇者の姿に本当に感動しました。
震災の傷跡をいまだに抱えながらもそれを感じさせない子供達は、まさに復活復興の大黒柱になると思うのですが、彼らだけでなく、立ち上がる大人達の姿も目にすることができました。復興食堂では旬のサケやイクラを用いた「おらが丼」や海鮮丼を提供し毎日大盛況でしたし、元小学校の校庭には数多くの仮設商店が建ち並んでいました。
このボランティア活動に一緒に参加したメンバーは、大学生、大学院生、社会人など、年齢層が幅広かっただけでなく、出身地も関西や九州など、様々でした。大震災が起きたのは東北ですが、全国から支援の手が差し延べられている事を改めて実感することができました。機会があれば是非皆さんにもボランティアに参加していただきたいし、これからも被災地の現状から目を背けずに同じ日本人として少しでも役に立てたら良いと思っています。
 

岩手県大槌町でボランティアをした村尾さん(左)と羽田さん(右)です。

2012年2月、大槌町の様子です。

仙台市若林区七郷でボランティアをした稲垣さん(中央)と相川さん(右)です。

仙台市沿岸部の被災地図です。

 

日本基督教団東北教区センター・エマオを通じての被災地ボランティア活動(仙台市荒浜地区)
2011年度高三 相川美菜子 稲垣沙知子

 

私達は2月20日から22日までの3日間、エマオの被災者支援センターを通じてボランティアに行きました。エマオは仙台と石巻を拠点に被災者支援のボランティアを行っており、活動内容は被災者のお家に訪問してそれぞれのニーズに応じた手伝いをするというものでした。私達は仙台の沿岸部に向かい若林区七郷という場所でワークしました。
初めにエマオで説明を受け、上下のレインコート姿に変身した私達はグループに分かれそれぞれ割り当てられたワーク先へ向かいました。海岸までの道は大体の瓦礫は撤去され、空しくも乾いた大地となっていて、その中にある一階部分がむき出しになっている半壊の家や、骨組みと屋根だけがかろうじて残るガソリンスタンドなどが津波の爪痕を感じさせました。その中に黄色い布でできた旗のようなものがいくつも見られました。それは、映画「幸せの黄色いハンカチ」に因んで被災者にも幸せが来るように、そしてまたこの土地に戻って暮らすことができるように、と願ってNPOがハンカチを提供しているというものでした。その後浜辺に出て海を眺めた私達は、目の前に広がる海に思わず息を呑みました。なぜなら朝日でキラキラと光る青くて広い海はあまりに美しかったからです。一瞬にして人も街も呑み込んだ事など忘れたかのように漂う静かな波、それを見つめる私達はそれぞれ色々なことを考えさせられました。
さて、ここからは1日目のワーク、畑のゴミ拾いの開始です。大きな瓦礫は撤去してありましたが、小さいゴミがまだ残っており、一日も早くこの畑の持ち主が農業を再開できることを願って私達はひたすら黙々とゴミを拾い続けてワークを終えました。
2日目、3日目は菅野さんというお爺ちゃんお婆ちゃん夫婦の農家のお宅でビニールハウスの組み立てのワークに参加しました。震災後に建て直したほぼ新築の綺麗なお宅で、お邪魔して早々お茶とお菓子で出迎えてくれました。その時に聞いた話によれば、震災前は息子が農業を主にやっていたけれど、畑が津波にやられて収入が得られなくなった為、今は市内で働くようになり、私達ボランティアが畑の再開への大きな助けになっているそうです。最初の日は既に建てられたビニールハウスの中に野菜を守るビニールのトンネルを作る仕事をしました。骨組みである棒を挿してからビニールシートをかぶせるというもので、始めた時は寒くて凍えていた筈なのに作業をするにつれて汗だくになっていました。ここに植えられたツボミ菜や小松菜は4月頃には収穫できると聞き、その時にまた訪れたいと心から思いました。お昼にはカレーうどんまで作ってご馳走して下さり、ボランティアで行っている筈の私達にこんなにも優しくしてくれるのかと、感動しました。被災して辛い生活を送っていても、人の心の温かさは変わらないんだ、ということを実感しました。同様に次の日は家の前のビニールハウスの組み立てで、トンカチと金具を使って鉄のパイプを繋げていくというものでした。3ミリでもずれると全体のバランスがおかしくなってしまう慎重な作業で、最初は苦戦していたことを思い出します。
そんな作業の合間に私は菅野さんと、その親戚で物知りなおじちゃん三千夫さんに震災体験について様々なお話を伺うことができました。私達がこうやってビニールハウスを建てられるのは沢山のワーカーさんたちの手によって行われた瓦礫撤去と海水の塩分を取り除く除塩作業のおかげだと言っていました。また、今では大きな松だけが残る荒涼としたお庭の震災前の写真の中には、美しい日本庭園のように草木が広がっていました。またこんな庭に戻したいけど、やっぱりお金がないべ~と明るく言う菅野さんでしたが、笑顔の裏にある現実と向き合う辛い表情を感じ取り、私は複雑な気持ちになりました。一部復活しつつあった畑でしたが収穫は以前の10分の1程度、安定した生活には程遠いというのが実情です。二日間お世話になった菅野さんと三千夫さんに、私達は自分たちの写真に感謝のメッセージを書いたものをプレゼントして、3日間のワークを終えました。
被災地に行って最も心に残った事は助けある大切さです。津波の被害にあった地域では予想以上に道路が整っていたり、家の外観が綺麗になっているのを見てびっくりしたし、多くの人が支え合っているということに感動しました。私達が3日間でしたことは本当に僅かな事だし、逆に教わることが多くボランティアをしに行ったと言えるのだろうかと自問する3日間だったけれど、このちょっとした事がいろんな人の力に積み重なって大きな力になっていくと思うと、すごく価値のあることだと思えます。また、一緒に作業した地元のおじちゃんにメッセージ入りの写真を渡したら、「地震以来初めての宝物ができました。これを見てこれからも頑張ります。」と喜んでもらえ、とても嬉しかったです。被災地の方々は私達を必要としていると思うし、行ってみないとわからない事が沢山あると思います。是非皆さんも被災地に足を運んでください。
 

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