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2018年度 大学卒業式式辞

 本日ここに晴れて卒業されるみなさん、おめでとうございます。必要な単位を取得され、また卒業論文をまとめられるなど、今日のこの日に向けてのみなさんの在学中のご努力に対し、衷心より敬意を表したいと思います。ご家族の方々もさぞお喜びのことと拝察いたします。また御来賓の皆様には、ご多忙のなかをご参列いただき、こころから感謝申し上げます。


 みなさんも当然ご承知だろうと思いますが、卒業は「終わり」ではありません。英語では卒業のことを、<commencement>と言いますが、この言葉の意味は、「始まり」です。何が始まるのでしょうか。簡単に言えば、独り立ちの生活が始まるのです。独り立ちということは、自分のために何でもできる、ということではありません。いままでは、ご家族も、先生方も、職員や社会人の先達であるOGたちも、あなた方のために、さまざまな心配りをし、あなた方のために、学ぶべきことを伝え、あなた方のために、身に着けてほしいと思われることをマスターするように、努力を重ねてきました。これからは、あなた方が、誰かのために、働き、努力を重ねる番なのです。


 誰かのために働く、と言いましたが、これは現代のわが国のいわゆる「常識」とは違っているかも知れません。いま支配的な考え方は、「自分ひとりのために」努力する人間の方が、「人のために」働く人よりも、競争に勝ち抜く可能性が高いというものです。資本主義社会においては、私利私欲を追求するとき、人間はその資質を最大化する。隣人に配慮したり、「世のため人のため」に行動しようとすると、競争に負ける。それが現代社会における支配的な考え方です。しかし私はそうは思いません。人間が自分の才能に目覚め、その能力を本当の意味で開花させるのは、「他人のために働く」ときだと確信していますから。人の役に立ちたいと願うときにこそ、人間の能力は伸びるのです。


 独り立ちを始めて、すぐに仕事を辞める人が口にする理由は、だいたい似通っています。「仕事が私の適性にあっていない」「私の能力や個性がここでは発揮できない」「私の努力が正当に評価されない」、こんなところでしょうか。しかし、仕事というのはそういうものではありません。それが自分のしたいことかどうか、自分の適性にあっているかどうか、そんなことはどうだっていいのです。これをやればあの人が喜ぶ、この人たちが助かる。そしてそれは、ほかならぬ「私がやるしかない」という、余人を以て代え難い立場に立ったときに、自分のなかに潜在している能力が目覚める、つまり召し出されるのです。


 英語ではこれを〈vocation〉とか、〈calling〉と言います。神に呼ばれて、ある責務を与えられること、というほどの意味です。同じ言葉はまた、「天職」とも訳されます。要するに、自分が「天職」だと思うような仕事は、適性テストなんかで見つけるものではなく、他者、他人のために働くなかから見出されるのだということなのです。東洋英和の掲げる「敬神奉仕」という建学の精神を、こういう視点から解釈してみてもいいだろうと思います。


 さて、みなさんはこれから、学生である、特に女子学生であるということで守られてきた港や内水面から出て、防波堤のない、風や波の吹き荒ぶ外海に出ていかなければなりません。始まる、独り立ちするというのは、そういうことでもあります。そのような荒海の中に乗り出そうとしているみなさんに、本学では、学士号の学位記とともに、卒業生お一人おひとりに黄色いスイセンの花をお贈り致します。これは幼稚園から高等部までの卒業式では古くから行われている慣行で、その起源は戦前にまで遡ります。東洋英和所縁(ゆかり)の地であるカナダでは、黄色い水仙は主であるキリストの受難と復活を記念するこの時期に一面に咲き誇るところから、レントリリー(「受難節の百合」)とも呼ばれる花です。復活のキリストを仰ぎ、その光の中を一歩一歩着実に、雄々しく歩んで行って貰いたい。そのような思いの下に、開学から30年足らずという若いこの大学においても東洋英和女学院の伝統に倣っています。願わくはみなさんが、この一輪の黄水仙に込められた東洋英和135年のスクールモットーである「敬神奉仕」の四文字を革めて胸に刻んで、船出して行っていただきたいと思います。みなさんの航海の無事を祈りつつ、これを以て私の式辞といたします。


2019年3月8日
東洋英和女学院大学
学長 池田 明史