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中学部・高等部トップページ中学部・高等部からのお知らせ > 高等部二年生が 永井隆平和賞 を受賞しました。

高等部二年生が 永井隆平和賞 を受賞しました。

高等部二年生が 永井隆平和賞 を受賞しました。


永井隆平和賞は、白血病に侵されながらも世界に平和への願いを訴えた永井隆博士(島根県雲南市出身)の精神を受け継ぎ、「愛」「平和」をテーマとした作文・小論文に与えられる賞です。

本校では平和学習の一環として長崎を中心とした修学旅行を実施しています。その事前学習として高等部1年生は永井隆博士の著書をはじめとした戦争に関する作品に触れ、作文・小論文を書きます。今回、永井隆平和賞に応募したところ高校生2名が入賞しました。


永井隆平和賞についてはこちらから
https://www.city.unnan.shimane.jp/unnan/kosodate/syuugaku/heiwasyou/

以下、入賞作品2点



私たちは平和を手に入れられるのか

東洋英和女学院高等部 二年  横山 公香

 今年の春、私は修学旅行の一環として長崎を訪れる機会を得た。新緑の季節の坂の町は、学生や観光客で賑わっていた。だが、活気に満ちた情景の中で、私の脳裏にこびりついて離れなかったのは、七十三年前の惨劇の爪跡であった。一本柱になった山王神社の鳥居、永遠に時がとまった時計、そして、永井隆博士が幾多となく残した「平和を」の文字――。人はなぜ今も争い、殺し続けているのか。過ちを悔いる思いと、平和への願いは憎しみの前には無力なのだろうか。改めて人間と平和について考えたいと思った私は、曾祖父の手記を手に取った。

 一九四一年、曾祖父が上海へ移住した年から手記は始まる。戦争の影が忍び寄る中ではあったが、商売もまずまず、順調な生活を送っていた。中国人とも共に働いており、中でも老和上と呼ばれていた老爺に対しては、「実に愛すべき好老爺であった。」と、親愛の情を見せている。国籍は違えど、労苦を共にした者たちの間には確かな絆があったようだ。しかし、穏やかな日々は長くは続かなかった。「重苦しいムードが居留邦人間に浸透して行った。」とは、サイパンが陥落した時のことを回顧しての言葉である。彼らの困難は終戦後も続いた。「敗戦国民にはなんら生命財産の保障はなかった。我々は日本歴史始まって以来の亡国の民になった訳である。」この二文

からは量り知れない程の寂寥感が感じとれるだろう。翌年、彼らは命からがら日本へ引き揚げた。事業や資産など、築き上げてきたあらゆる物は、上海に残さざるをえなかった。

 手記はとても詳細で、等身大の人間が見た戦争の実態を教えてくれた。また、手記に関して祖父に質問をした中で、二つの興味深い事実が明らかになった。

 一つ目は、曾祖父は生前、一切戦時中の話をしなかったということだ。手記を残す、という行為と矛盾しているように思えるかもしれないが、きっと彼にとって戦争の記憶は軽々しく口に出すべきものではなかったのだろう。可能な限り正確かつ克明に戦争の過ちを後の世代に伝えるため、紙に記録する、という手段を選んだのではないかと推測する。

 二つ目は、曾祖父が共に働いていた中国人に祖父が日本で再会したということだ。シーセイという名の彼は、少しでも日本に引き揚げた一家のためになれば、と上海に残されていた資産の一部を持ってきて下さったそうだ。この直後に日中間の交流がほぼ途絶えていることを鑑みると、一家のためにシーセイ氏が冒したリスクがかなりのものだったことがわかる。

 私は曾祖父の手記と祖父の話を通して、人間が持つ二つの力に気がついた。

 一つ目は、自らの経験や教訓を後世に残す力、また、先人の遺志から学び、それを未来に活かす力だ。終戦から半世紀以上経った時代に生まれた私達が、戦争について学ぶことができるのは、先人達の多大なる努力のおかげに他ならない。残された言葉や絵や建物を見ていると、自分達が体験した悲しみ、苦しみをもう誰にも味あわせないという強い決意すなわち未来への愛にみちた叫びが伝わってくる。その叫びを受け継ぎ、未来に活かす力を私達は持っているのだ。

 私達がもつ二つ目の力は、隣人愛だ。先述したシーセイ氏のエピソードは、国同士が敵対しても変わることのない絆の永続性を明らかにしている。このような深い親愛関係に留まらず、隣の人をふとした時に思いやることができるだけで、人々は互いに救い、救われる関係性を築いていけるに違いない。

 これら二つの力があれば、人間はきっと平和を達成することができる。だが、この力の有用性は、私達の使い方によって大きく左右されるだろう。憎しみに打ち勝ち、平和を獲得できるかどうかは、私達ひとりひとりの双肩にかかっているのだ。



私たちの本能

東京都東洋英和女学院高等部 二年 油木 理緒奈

 戦争は例え終わっても、国家間やその国民の間に生じた亀裂はなかなか埋まることはない。私は最近、これを肌で感じる出来事を経験した。

 昨年私は、数ヶ月間アメリカに留学する機会が与えられた。現地の高校に通っていたのだが、そこには中国からの留学生も十名程かよっていた。彼らは皆愛想が良く、新入生の私にニコニコと話しかけてきてくれた。しかし、私が日本から来た、と知ると、間髪入れずに、ある質問を投げかけてきた。日本では、歴史の授業でどのようなことを習うのか、と。私は最初唖然としたが、何人もの人に同じような質問をされたので更に驚くこととなった。

 ところで、私はまた別の出来事もアメリカで体験した。それは私のホストファミリーと夕食をとっていたときのことだ。ふと何かの拍子に第二次世界大戦の話となった。私が、自分の祖父母が食糧難で苦しんだ、という話をしたところホストシスターに、でも先に仕かけたのは日本ではなかったかと、指摘されたのだ。口調こそ強くはなかったものの、白人のアメリカ人に四方囲まれ、そのときなんともいえない心情に襲われたのは確かである。

 私が中国の生徒の質問に言葉を失ったのは、きっと一つにまだ会って間もないような私にまで歴史問題をふってきたからからであり、そして更に彼らの言い草から日本では事実が教えられていないと彼らが思っている、と私自身が感じたからであろう。そして、唖然としたのちに憤りを覚えてしまった自分もいた。私は刹那的に、日本をかばい、相手を責めるような気持ちになっていたのだ。この心情こそが戦後七十年以上の時を経てもなお日本と近隣の国々との衝突が絶えない原因なのかもしれない。よく考えてみれば、私が日本の学校で真実を学んできたと思うのと全く同じように、きっと彼らも自国の教育を正しいのだと信じて疑っていないのだと思う。また、加害者と被害者では、同じ出来事でも解釈に相異が生じることは大いに考えうる。だからどちらか一方が絶対に正しくて、どちらかが間違っている、ということはないのであろう。私たちは、自らの「正義」や「信条」を一度取りさげて、互いに歩みよらなければならない。

 しかし一方で、生きている限り人間には大なり小なり争いはつきものなのだろう。すなわち、自分個人や自国をかばおうというのは人間の当たり前の心理なのだと思う。だからこそ私たちは、細心の注意を払って理性をもってこれをふうじこまなければならない。

 ホストシスターの発言も自然な発想であるといえる。しかし、彼女の発言からも、なぜ世界から争いや戦いが絶えないかが読みとれると思う。この発言の背景には、先に戦争を仕掛けたのは日本なのだから日本の人は苦しんでも当然だというある種の冷酷さと、戦争を仕掛けた相手への不寛容さがうかがえる。そこには、相手国にも自分と同じような善良な市民がいるという思いやりはない。確かに、多くの人は「やられたらやり返し」たくなるだろう。しかし、何らかの闘争が起こりそうなときや、相手への憎しみが生まれつつあるときにこそ、想像力を働かせて相手の立場に立って、相手を慮ってみることが大切なのではないだろうか。これが国家間で実現したときには、必ずや平和な時代がやってくるのだと思う。そのためには、月並みな言葉ではあるが、私たち一人一人が他者を思いやることが平和への第一歩となるのだろう。

 敵をどうしても許せない気持ちや、自分の正義を貫きたい気持ち。このようなある意味当然で本能的な心情を制御することでこそ、争いのない世界を実現できる。私にはそう思われてならないのである。

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