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中学部・高等部トップページ中学部・高等部からのお知らせ > 2017年9月 生徒礼拝<高等部3年>

2017年9月 生徒礼拝<高等部3年>

箴言 12章16節~19節

無知な者は怒ってたちまち知れ渡る。
思慮深い人は、軽蔑されても隠している。
忠実に発言する人は正しいことを述べ
うそをつく証人は裏切る。
軽率なひと言が剣のように刺すこともある。
知恵ある人の舌は癒す。
真実を語る唇はいつまでも確かなもの。
うそをつく舌は一瞬。


「ことば」

先日SNSの投稿にこんな文章がありました。「一年の半分が終わってしまった。」

それは金曜の夜だったので、球技会の余韻に浸りつつ、時の流れの早さに驚くばかりでした。今年の半分が終わってしまったということは、私たち高3がこの英和に集うのも残り半年であるということ、これにも驚きです。

この6年間で得たことは多く、ベタに聞こえがちですが、かけがえのないものです。そんな中、私が英和に来なければ気づかなかったことがあります。その一つが「言葉のもつ色味」です。言葉は使いようによって、また時には、使うか使わないかさえも相手に作用する奥深いツールのような気がします。

言葉の持つ色味、と言いましたが、同じ言葉一つとっても微妙に違ったニュアンスや背景を含ませることができると思うのです。その例に「やばい」という一言を取ることができるでしょう。

「やばい」は元々自分に、自分側に不都合とか危険な状況を表す名詞「やば」に「い」がついたものです。この使い方は言うまでもなく私たちにとって危機的な点数を取った、絶望的な時間に起きた、致命的と思われる忘れ物をしたときなど自分の悲痛さを示す現代人の必須語句といい得ます。しかし逆に、近年この上なくハッピーな場合でも多用されることは皆さんご存知の通りです。

こうしてみるとたった三文字の何気ない言葉、「やばい」は物事の大小、深い浅い、良い悪い、限りなく多くのニュアンスを発信できる万能な言葉であることがわかります。これを仮に「万能語」と名付けましょう。私たちの周りにはこの万能語が「やばい」以外にもあふれています。挙げるときりがないので皆さんの認識に任せます。

万能語は主に私たち若い世代の間で主流になっているようで、大人や年配の人はあまり積極的に用いないような気がします。時にはそのような表現を「結局どのくらい何がやばいの?」と疑問に思われることもあります。世代が代わって私たちが社会の主流層になったとき、果たしてこういった表現はどんなふうに作用するのでしょうか。万能語はいい意味でのみ万能に働いてくれるでしょうか。私は完全にそう言い切ることはできないと考えます。

もちろん仲間内で自分の体験を軽快に話す分には何ら問題はないでしょうし

むしろそのほうが私たちになじんでいて話が通りやすいこともあるでしょう。

しかしその万能さに慣れすぎて必要なところで適当な言葉が見つからなかったら、正しい意味、実は自分が知らない言葉の持つ色味があったら、伝えたいこと伝えなければならないことはそのまま自分の中に置き去りになってしまうでしょう。

先日の高校二年生からの修学旅行の報告にもあったように、戦争の悲惨さを後世に伝えるのも他ならない言葉が用いられ、それを聞き、考えるのにも言葉が伴います。「戦争はやばかったらしい。」もしこのように片付いてしまう時が来たらあの過ちは繰り返されかねない気がします。

規模の大きい話をしてしまいましたが、言葉の認識の乏しさが積み重なれば

俗にいう「ボキャ貧」以上の恐れを伴いかねないことは普段の授業や啓発文などから薄々窺えたりします。

冒頭で「言葉の持つ色味」の話をしましたが、私たち英和生は幸いほかの同世代よりも言葉に触れる機会が多い気がします。毎朝眠くても礼拝に赴き、聖書に目を通し、先生方が言葉を選んで用意してくださったお話を聞く、この積み重ねは私たち英和生にとっての大きな実りの一つではないでしょうか。礼拝の中で出会った言葉は励みや慰めになるばかりでなく、考え方や表現の幅を広げるものも多々あると、6年弱を振り返って思います。今ここで話している私がそんな役割を果たせているかはわかりませんが、誰かの何かのきっかけになれば幸いです。

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